あらすじ

高瀬舟のあらすじとネタバレ 読書感想から考察まで徹底解説/森鴎外

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森鴎外の高瀬舟はわかりやすく端正な文章で、短いながらも「足るを知ること(身分相応に満足できる人)」と「安楽死」という、今日にも通じるテーマをぎゅっと濃縮した一篇です。

そんな高瀬舟ですが

「読んだことがあるけど内容を忘れてしまった」

「話題に出てきたけど読んだことがなくてついていけなかった!」

という方もいるのではないでしょうか。

また、

「教科書で読んだ森鴎外の『舞姫』はまるで古文みたいですっかり嫌気がさしてしまった」という方も多いかと思います。

今回はそんな森鴎外の「高瀬舟」のあらすじや魅力から、より楽しむためのポイントなどを詳しく解説していきます。

「高瀬舟」とは?

「高瀬舟」は森鴎外が54歳のときに執筆したとても短い歴史小説です。

江戸時代の随筆(本当にあった出来事の内容や感想を書いたもの)『翁草』のなかの「流人の話」をもとにしており、お話の筋はほぼ忠実に再現されています。

実は森鴎外は自ら「高瀬舟」の解説書として「高瀬舟縁起」を残しています。

ここではその内容も含めて解説していきます。

作者名

森鴎外

発売年

1916年(大正5年)1月

ジャンル

歴史小説

時代

江戸時代(寛政の時代)

高瀬舟の作者/森鴎外のプロフィール

森鴎外(本名:森林太郎)は、1862年(文久2年)石見国津和野(島根県)に生まれました。

生まれた家は代々津和野藩の藩医を勤めた名家でした。

現代では文学者として名を残す鴎外ですが、生前は陸軍軍医としてまさに国家を背負って立つ存在でした。

第一大学区医学校・東京医学校(現・東京大学医学部)を卒業後陸軍軍医となり、陸軍省派遣留学生としてドイツで4年間を過ごします。

他方で、1889年の帰国後から、翻訳・評論を中心に文学活動を開始します。

小倉(福岡県)時代を経て、1907年陸軍省医務局長(軍医のトップ)に就任後も「ヰタ・セクスアリス」「青年」「雁」などを発表していきます。

1912年、乃木希典(のぎまれすけ)大将の明治天皇への殉死(主君の後を追って自殺すること)事件の影響を受けて「興津屋五右衛門(おきつやごえもん)の遺書」を執筆後、歴史小説を多く書くようになりました。

そして最期は1922年(大正11年)60歳で病のため亡くなりました。

「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」との遺言はあまりに有名です。

それを受けて、墓石には「森林太郎ノ墓」とのみ刻されています。

高瀬舟の特徴【「高瀬舟」の主要登場人物は2人のみ】

「高瀬舟」の主要な登場人物は2人のみです。

遠島(島流し)の刑をいい渡された「弟殺し」の罪人・喜助と、喜助を高瀬舟で護送する役目をになった京町奉行所の同心・羽田庄兵衛です。

この2人の会話を通じて物語は進みます。

主に庄兵衛の視点から、喜助の身の上や心持ち、そして犯した「罪」に対する庄兵衛の考えが述べられていきます。

高瀬舟の主要登場人物

 

羽田庄兵衛(はねだしょうべえ)

京都町奉行同心・高瀬舟の護送役・初老に手のとどく年

喜助(きすけ)

弟殺しの罪人・遠島(えんとう)の刑で高瀬舟に乗る・30歳くらい

喜助の弟

病気になり、兄を気遣って自死を図る

高瀬舟の簡単なあらすじ【「高瀬舟」のあらすじ】

「高瀬舟」とは簡単にまとめると、次のようなお話です。

遠島(島流し)を言い渡された罪人を大阪へと運ぶ高瀬舟。

その役目をになう京都町奉行所の同心・羽田庄兵衛は、ある夜珍しい罪人・喜助に出会います。

喜助はこれまでのどんな罪人とも違って、悲惨な運命にもかかわらず晴れ晴れとした顔をしているのです。

不思議に思った庄兵衛は喜助に語りかけ、「足るを知る(身分相応に満足することを知る)」喜助の姿勢に尊さを感じます。

また、喜助の犯した「弟殺し」の話を聞いて、「弟の苦しみを救ってやりたいと思って命を絶った」喜助の行いが果たして罪といえるのかと疑問を感じるのでした。

【「高瀬舟」の起承転結】

 

ここからは「高瀬舟」を起承転結で分けてもう少し詳しく、物語のあらすじを説明していきます。

【起】高瀬舟のあらすじ①「高瀬舟」とはどんな舟か

徳川時代、京都の高瀬川を上下する高瀬舟は、遠島の刑となった京都の罪人を大阪へと運ぶ舟でした。

そして護送の役目を担ったのは、京都町奉行配下の同心たちでした。

当時の罪人たちの多くは、悪人というよりはむしろ、間違った考えのために思わぬ科(とが)を犯した人たちでした。

たとえば、心中をはかって自分だけ生き残ってしまった男といった類です。

高瀬舟には、親類一人の同船が暗黙に許されていました。

役目を果たす同心は、夜通し彼らの身の上や悲惨な境遇を聞かされるはめになります。

そのため同心仲間のうちでは、高瀬舟の護送は不快な職務として嫌われていました。

【承】高瀬舟のあらすじ②珍しい、不思議な罪人

寛政のころの春の夕べに、これまでに類のない珍しい罪人が高瀬舟に乗せられました。

その男は名を喜助といい、親類もなくただ一人舟に乗りこみました。

その護送の役目をになった同心・羽田庄兵衛は、喜助が弟殺しの罪人であるとだけ知らされています。

庄兵衛は喜助がいかにも神妙でおとなしく役人の自分を敬うさまに驚き、細かい注意を払います。

じっと月を仰いでいる喜助の額は晴れやかで目にはかすかな輝きがありました。

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【転】高瀬舟のあらすじ③喜助が晴れ晴れとしている理由とは?

いかにも楽しそうな喜助のようすを不思議に思った庄兵衛は、とうとうこらえきれずに理由を問いただします。

喜助の答えはこうでした。

遠島といっても自分のこれまでの苦しみに比べたらうれしいことなのだと。

島という自分の居場所ができお上のものを食べ二百文ものお金をいただいたのだからと。

庄兵衛は喜助の話を聞いて、初老に届く自分の生活を振り返ります。

女房と子供が4人、そして老母の7人暮らし。

倹約に倹約を重ねていますが、裕福な商家の出である女房はたびたび生家から内緒でお金をもらってきます。

桁の違いがあるだけで、喜助と自分の間にどれほどの差があるのかと思いめぐらせる庄兵衛。

けれど、同時にこうも考えます。

喜助には欲がなく「足ることを知っている」、実はここにこそ喜助と自分との間に大きな隔たりがあるのではないかと。

人は先へ先へと欲を出しどこまでいっても踏みとどまることを知らないというのに、この喜助は今目の前で踏みとどまって見せてくれているのです。

そう思うと、庄兵衛には喜助の頭から光がさすように感じられるのでした。

【結】高瀬舟のあらすじ④喜助はなぜ弟を「殺した」のか

思わず「喜助さん」と「さん」をつけて呼んでしまう庄兵衛。

そして喜助が人を殺めた理由を尋ねます。

喜助は、小さいころに両親を流行病でなくしたこと、そのあとは弟とともに助け合って生きてきたことを語ります。

ところが去年の秋弟は病気で働けなくなり、そのことをとても気に病むようになってしまいました。

ある日喜助が帰宅すると、弟は布団の上で血まみれで突っ伏しているではありませんか。

弟は兄に楽をさせたいと剃刀で喉笛を掻き切り、自死しようとして死にきれずにいるのでした。

弟は早く剃刀を抜いて死なせてくれと懇願します。

最初は医者を呼ぼうとしていた喜助でしたが、弟の険しい目つきに負けてとうとう剃刀を引き抜きます。

晴れやかにさもうれしそうな表情を浮かべた弟は、すでにこと切れていました。

ちょうどそのとき入ってきた近所のばあさんに目撃され、喜助は捕まってしまいます。

この話を聞いた庄兵衛は疑問を持ちます。

果たしてこれが人殺しといえるのかと。

なぜなら喜助は弟の苦しみを救ってやりたいがために剃刀を抜いたのであり、果たしてそれが罪となるのだろうかと。

庄兵衛はお上の判断にしたがおうとは思うものの、腑に落ちないものを残すのでした。

高瀬舟の解説(考察)「足るを知る」ということ

森鴎外自身による「高瀬舟」の解説書である「高瀬舟縁起」。

そのなかで鴎外は「私はこれ(引用者註・『翁草』のこと)を読んで、その中に二つの大きい問題が含まれていると思った。」

  • 財産というものの観念である
  • 人の欲には限りがないから、銭を持ってみると、いくらあればいいという限界は見出されないのである
  • 二百文を財産としてよろこんだのがおもしろい

喜助の姿勢に、人間の限りない欲望を超越した「足るを知る」尊さを見出しているのです。

高瀬舟の作者が伝えたかったことは?「安楽死」の問題を投げかける

「高瀬舟縁起」では、続けてつぎのように述べられています。

「今一つは死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせてやるという事である。/そばからその苦しむのを見ている人は、……どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせておかずに、早く死なせてやりたいという情は必ず起こる」。

西洋の「ユウタナジイ」(euthanasie・仏)すなわち「らくに死なせる」という考え方を知っていた森鴎外は、同じような話を江戸時代の随筆に見出して興味を持ったのでしょう。

そしてそれは軍医であった鴎外にとって、私たちが考える以上に切迫したテーマだったのではないでしょうか。

「高瀬舟」をより楽しむための3つのポイント

「高瀬舟」を読むうえで、知っておくとより楽しい知識をご紹介します。

ポイント①幸田露伴による森鴎外の人物評

若いころ森鴎外と交流のあった作家・幸田露伴ですが、晩年には鴎外について「蓄財と出世にしか関心のなかった男」(小林勇『蝸牛庵訪問記』)と切り捨てています。

その評価が正当であるかどうかはさておき、森鴎外が出世街道を着々と歩んだ人物であるのは間違いありません。

そんな鴎外ですが、「足るを知る」喜助に対し、思わず「喜助さん」と「さん」づけで呼びかけてしまう庄兵衛の心情を描きだしたのは興味深いところです。

ポイント②第1次世界大戦のさなかに書かれた作品

「高瀬舟」が執筆されたのは、欧州で大戦争が行われていたさなかでした(第一次世界大戦・1914-1918)。

日本も、日英同盟を口実としてこの戦争に参戦しています。

軍医として日清・日露戦争に従軍した森鴎外にとっては、戦場の悲惨は身近な問題であったのではないでしょうか。

「安楽死」の問題を論じる森鴎外の脳裏には、そのような光景があったのかもしれません。

ポイント③樋口一葉を高く評価した鴎外

森鴎外は若くして亡くなった女流作家・樋口一葉をいちはやく評価したことでも知られています。

一葉が肺結核に冒されていることを知った鴎外は、当代随一の医師を派遣しました。

また一葉の死の報に触れ、陸軍一等軍医正・森林太郎として正装の上での参列を希望しますが、遺族に断られたといいます。

このように森鴎外はたとえ女性であっても貧しくても、才能のある者を惜しみなく評価する姿勢を持っていました。

貧しくとも正しい心を持った喜助に対する視線にも通じるものがあるように思われます。

高瀬舟を読んだ読書感想【「高瀬舟」の読書感想】

この小説には「足ることを知っている」ということと、「らくに死なせる」ということ(安楽死)の二つのテーマがあります。

喜助は貧しい悲惨な暮らしをしてきていながらも、少しも荒んでいません。

庄兵衛に対しても物腰は柔らかで率直です。

遠島という運命をむしろよろこび、ありがたがってさえいます。

それにしても、弟が自分のために自死を図ったというのになぜ晴れ晴れとしているのでしょうか。

それは、本当の意味で弟を救ってやったと感じとっているからなのかもしれません。

最期に弟が見せた晴れやかでうれしそうな表情に、喜助は納得がいったのではないでしょうか。

森鴎外が伝えたかったメッセージが込められているシーンだと思います。

高瀬舟のあらすじ・考察まとめ

実は私は、以前森鴎外に対してどこか近寄りがたい印象を抱いていました。

エリートとしての華やかな経歴、そして秀才というところからお堅いイメージが付きまとっていたのです。

しかし作家としての森鴎外にはむしろ、『山椒大夫』や『雁』のように貧しい者や弱い者にたいする同情を込めた作品が実は多いのです。

軍医として出世する道は、ある意味森鴎外にとっては生まれながらに定められた道でした。

けれどもそのかたわらで、文学を志さざるを得なかった彼の思いを「高瀬舟」にも感じとることができるのではないでしょうか。

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