あらすじ

「風の又三郎」あらすじとネタバレから読書感想まで解説/宮沢賢治

宮沢賢治といえば、国語の教科書にも載る有名な児童文学作家で、誰もが一度はその作品に触れたことがあるでしょう。

「風の又三郎」は、そんな宮沢賢治の書いた短編小説のうちのひとつです。

宮沢賢治の代表作とも言える童話ですが、一方で旧仮名遣いに加え、多くのセリフが方言で書かれているので、どうしても難しい印象が残ります。

それが理由で読むのをやめた、諦めたという人もいるのではないでしょうか。

この記事では、そんな「風の又三郎」のあらすじと魅力を紹介していきたいと思います。

「風の又三郎」とは?

 

「風の又三郎」とは、1896年(明治29年)岩手県花巻市に生まれた宮沢賢治によって書かれた童話です。

すでにご存知の方もいるかとは思いますが、宮沢賢治が生きている間に刊行された著作は「春と修羅」「注文の多い料理店」の二冊のみ。

本作が刊行されたのは、宮沢賢治の死後6年が経ってからでした。

旧作「風野又三郎」を元に、同じく旧作「種山ヶ原」と「さいかち淵」を繋ぎ合わせ、再考したものが「風の又三郎」の草稿とされています。

宮沢賢治の死後に発表された作品であることから、多くの謎や欠落した文字があり、文学者の間でも議論の絶えない作品なのです。

風の又三郎の主要登場人物

 

高田三郎

谷川の岸にある小学校に転校してきた赤毛の5年生。

鉱山技師の子として紹介されますが、一部の生徒から「風の又三郎」ではないかと疑惑の目を向けられます。

嘉助

小学校に通う5年生。

三郎のことを「又三郎」と呼び、風の神さまの子だと信じています。

一郎

小学校に通う唯一の6年生。

みんなのお守り役であり、嘉助の言う三郎は風の又三郎であるという話をあまり信じていません。

耕助

小学校に通う生徒の一人(学年は不明)

三郎をからかうつもりが、返り討ちにあってしまいます。

風の又三郎

三郎のあだ名であり、地元で伝説となっている風の神様の子の名前。

直接的な出番はありません。

 

 

 

風の又三郎の簡単なあらすじ

 

谷川の岸にある小さな学校に、高田三郎というの名の転校生がやってきます。

一風変わった彼の様子と直後にどうっと吹いた風から、地元の子どもたちは三郎がその土地に伝わる「風の又三郎」ではないかと噂をし始めました。

懐疑的な気持ちを抱きつつ、子どもたちは三郎を誘い、高原や川へと遊びに行きます。

時に仲良く、時に口喧嘩をして、子どもたちと交流を深めていく三郎。

しかし、ある台風の日に一郎が登校すると、三郎は再びその地から離れてしまっていたのでした。

風の又三郎の起承転結

風の又三郎のあらすじ1

始まりは、風のある爽やかな九月一日のことです。

谷川の岸にある学校に生徒たちが登校すると、見知らぬ少年が教室におりました。

彼の名前は高田三郎といい、お父さんの仕事の関係でこの地に引っ越してきたのでした。

地元の子たちとは違う見た目と彼のいる教室にどうっと風が吹いたことから、嘉助は三郎が風の又三郎ではないかと言い出します。

翌日、木ペンを巡って佐太郎とかよが喧嘩を始めました。

泣き出したかよを見て、三郎は一本しかない鉛筆を佐太郎にあげ、かよの木ペンを返させます。

消し炭で残りの授業を受けた三郎の姿を、最年長の一郎が見ていました。

風の又三郎のあらすじ2

九月四日、よく晴れた日に一郎は嘉助と佐太郎と悦司を誘って、三郎と共に谷の上の野原へ遊びに行きます。

一郎のお兄さんが草刈りをしているところまでくると、もう少し刈るからと、三郎たちは20匹ほどの馬と共に土手の中で待つことに。

馬に怯える三郎を悦司がからかい、ムキになった三郎が馬を競わせて遊ぼうと誘います。

馬を走らせて遊んでいると、嘉助が外した牧場の柵を越えて馬が1匹逃げてしまいました。

嘉助は三郎と共に追いかけますが、途中で馬も三郎も見失ってしまいます。

深い霧が出てくると、とうとう帰り道も分からず、嘉助は疲れ果てて眠ってしまいました。

夢の中でガラスのマントを着て、光るガラスの靴を履いた三郎が空を飛ぶ夢を見た嘉助。

目を覚ますと、目の前に逃げたはずの馬が三郎と共におり、直後一郎とそのお兄さんが二人と1匹を迎えにきました。

嘉助はますます三郎が風の又三郎だと信じて疑わなくなりました。

風の又三郎のあらすじ3

九月五日の朝は雨でしたが、時間が経つにつれ陽が射し始めたので、耕助が嘉助を葡萄蔓を採りに行かないかと誘います。

道中、三郎は見慣れないたばこ畑が気になり、その葉をむしってしまいました。

みんなが専売局に怒られると囃し立て、中でも耕助は、自分の見つけた葡萄藪にみんなが来て機嫌が悪かったので、三郎を責め立てました。

拗ねた三郎は、みんなが葡萄を採っている間に木に登り、朝の雨で残った雫を耕助の上に降らせます。

腹を立てて「又三郎も風も世界になくていい」とくってかかる耕助ですが、三郎の返しにだんだんと困ってしまいます。

とうとう「風車が壊れるから風はいらない」と言い、みんなから笑われた耕助は、自分でも面白くなって、三郎と仲直りをするのでした。

九月七日のこと、夏のように暑くなり、嘉助は学校が終わると三郎を川へと誘いました。

みんなで遊んでいると、対岸から四人の大人がやって来て、発破漁を始めます。

こっそり魚を横取りする子どもたちの中で、三郎だけが魚を大人たちに返しますが、受け取ってはもらえません。

発破漁の四人がいなくなると、今度はステッキを持った男が現れました。

専売局の人が三郎を探しに来たのだと焦った一郎たちは、自分たちの体で三郎を隠し、男を追い返します。

しかし、それらは全て一郎たちの思い違いでした。

風の又三郎のあらすじ4

翌日の八日に、佐太郎が毒もみように山椒の粉を持って来ました。

学校が終わるとみんなで川に行き、さっそく笊を水につけますが、毒もみは失敗に終わります。

気分を変えて鬼ごっこを始めますが、三郎が鬼をしていると、次第に天候が荒れ始め、雷が鳴り、夕立が降り始めました。

風が吹き始めると、誰からともなく三郎をからかうように囃し立てます。

三郎は血相を変えてみんなのところに戻りますが、みんなは惚けて誰が言ったかなんて答えません。

川が気味悪く思えてくるのでした。

そして、九月十二日のことです。

三郎に聞いた歌を夢にみた一郎が朝起きると、外は歌のような雨風が激しく吹いていました。

なんだか三郎が飛んでいってしまいそうだと感じた一郎は、嘉助を誘い早めに登校します。

そこで、二人は先生から三郎のことを聞きました。

三郎は別れも告げず、前日のうちに転校して行ってしまったのだと。

風の又三郎の解説(考察)

 

高田三郎が、本当に風の又三郎であったか、という点は明らかになっておりません。

ただの子こどもであったという説、風の神さまの子どもが人に化けていた説、そして、風の又三郎が人の子どもに憑依していたという説。

さまざまな推測が飛び交っています。

初めて「風の又三郎」を表題として出版した羽田書店の「風の又三郎」。

その解説である「この本を読まれた方々に」において、三郎のことは「普通の子供で、何の不思議もありません」と明記しております。

一方で、多くの研究家たちは冒頭の歌に始まり、三郎のちょっとした一言に対しても違和感を覚えています。

例えば、九月四日に三郎が一郎たちと合流し、谷の上の野原へ行くときのことです。

三郎は仲間たちに「ぼくのうちはここからすぐなんだ。ちゃうどあの谷の上あたりなんだ。みんなで帰りに寄らうねえ」と言います。

しかし、果たして自分の家に人を招くときに「寄ろう」というのでしょうか。

もしかしたら三郎の家はそこになく、家でない“どこか”にみんなを連れて行こうとしているのでは、という考え方もできます。

そんな端々の謎を拾い集めていくと、三郎が「普通の子供で、何の不思議もありません」と言い切るのは難しいような気がしますね。

 

風の又三郎の作者が伝えたかったことは?

 

風の又三郎といえば、やはり有名なのは「どっどど どどうど どどうど どどう」から始まる風の歌でしょう。

歌の一節に「青いくるみも吹きとばせ すっぱいくゎりんもふきとばせ」という箇所があります。

この青いくるみとすっぱいカリンはいずれも未熟な果実。

これらを未熟な存在である子どもとし、風の又三郎はそれらを吹きとばす役割、つまるところ「死」の象徴であるという説があります。

物語の中でも、子どもたちは三郎と共に遊ぶ中で、何度か危ない目に遭っています。

墜落死や溺死を運良く免れた子どもたちは、自ら風の又三郎(三郎)という死の象徴を追い出すことで、ひとつの成長を遂げるのです。

その代償として、子どもたちは風の神さまと遊ぶ機会を永遠に失います。

宮沢賢治はこの物語を通して、子どもが大人になる精神的な成長過程のひとつを示したかったのではないでしょうか。

風の又三郎の3つのポイント

風の又三郎のポイント1

宮沢賢治の書く童話の中で「風の又三郎」が他の童話と違うところは「現実感」といったところにあります。

例えば「やまなし」ではカニの親子が会話をし、「セロ弾きのゴーシュ」では猫がトマトをお土産にゴーシュのセロを聴きに来ます。

それらが空想のお話である一方、この「風の又三郎」は非常に現実感の強い作品です。

子どもたちのリアルな反応は、この物語が岩手のどこがで本当にあった出来事なのではと思うほどに。

それ故に、読者は現実感のあるこの話に惹きつけられ、物語に出てくる子どもたちに強く共感するのです。

作家であり、児童文学研究者でもある坪田譲治さんはこう言っています。

「『風の又三郎』といふのは、あなた方の友達のことが書かれてゐるやうなものであります。いえいえ、友達でなくて、もしかしたらあなたも、その中に書かれてゐるかも知れません」と。

風の又三郎のポイント2

現実的なのは子どもたちの描写だけではありません。

本作品は岩手県の美しさを存分に描いています。

物語を読みながら、村中をかける強い風が吹き、川側で子どもたちが水遊びをする音が聞こえてきます。

岩手に行ったことのある人はその風景を思い浮かべ、まだ見たことのない人は白黒の文字から、多彩な美しい村山を思い浮かべることでしょう。

こんな村に住んでみたいと思わせるような岩手の自然を、宮沢賢治はその素晴らしい言葉選びで書き出しているのです。

風の又三郎のポイント3

前述の二つのポイントを踏まえて、風の又三郎について考えてみましょう。

ひどく現実的な物語の中で、唯一空想的な存在である「風の又三郎」の存在。

これが、どこにでもある田舎の小さな村を、ある信仰を持ったミステリアスな村へと変化させるのです。

再び坪田譲治さんの言葉を借りるならば「山奥の村を、宮沢先生が『風の又三郎』という言葉でかいしゃくされたのであります」ということでしょう。

風の神さまが出てきそうな不思議な村。

それが、この童話「風の又三郎」をただの現実的な物語で終わらせないポイントになるのです。

風の又三郎を読んだ読書感想

 

子供の頃、初めて「風の又三郎」を読んだ時、私は嵐の夜が少しだけ恐ろしく思えました。強い風の吹く日に現れたりいなくなったりする同級生の姿が、雨風で揺れる窓の向こうにいそうな気がしていたのです。

大人になり、再びそのページを捲った時に思ったことは、これだけ濃厚な物語がたったの12日間に起こった出来事だということでした。

高田三郎がやってきてから2週間も経たないうちに、彼は再びどこかへ行ってしまいます。

作中で日付は飛ばされていますから、書かれている日付は全部で7日分です。

子どもたちの、ひいては作者である宮沢賢治の感受性のなんと豊かなことでしょう。

川で遊ぶにしても、山葡萄を取りに行くにしても、子どもたちの日常は輝いて、イキイキとしています。

嘉助の三郎に対する好奇心も、一郎の静かな観察も、耕助の反抗心も、子供の頃に置いてきた覚えのある感情ばかりでした。

子供心のままに読んだ時も面白く読めましたが、大人になってから読んでもやはり面白い。

童話に限らず、良い物語はいつ読んでも素晴らしい経験を与えてくれるものなのだと、改めて実感しました。

風の又三郎のあらすじ・考察まとめ

 

ここまで読んで「風の又三郎」に少しは興味を持っていただけたでしょうか。

正直なところを申しますと、物語は10人が読めば10通りの解釈があると思っています。

三郎が本当に風の又三郎であったのか、嘉助は本当に三郎を又三郎だと思っていたのか、などなど、疑問に思うことはいくつも出てくるかと思います。

そうでなければ、決して長くはない童話「風の又三郎」に対して、こんなにもたくさんの研究はされていないでしょう。

ここに書かれたことは一説に過ぎません。

あなたの思う「風の又三郎」を探しに、是非直接お読みになることをお勧めします。

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