『ノートル=ダム・ド・パリ』は、映画やミュージカルで有名な『ノートルダムの鐘』の原作です。
「映画やミュージカルは観たことあるけど、原作は読んだことがない」
そんな方は意外と多いのではないでしょうか。
『ノートルダム=ド・パリ』は愛情や嫉妬が渦巻く昼ドラのような人間関係と物語展開が衝撃的な内容の小説です。
この記事では、そんな『ノートルダム=ド・パリ』のあらすじやネタバレ・感想・考察などについて徹底解説していきます。
「ノートル=ダム・ド・パリ」とは?
愛は人を狂わせもし、幸せにもする。
『ノートルダム=ド・パリ』は人間のもつ愛や嫉妬、憎しみ、執着といった感情を余すところなくさらけ出した作品です。
1人の娘によって人を愛する喜び、苦しみを知った3人の男たちそれぞれの想いが、ノートル=ダム大聖堂を舞台に交錯していきます。
その愛憎劇は、私たちの生きる現代世界でも起こりうること。
人を愛するとはどういうことか、愛憎による悲劇を生み出さないために人間はどう生きるべきかを考えさせてくれます。
作者名 |
ヴィクトル=マリー・ユゴー |
発売年 |
1831年 |
ジャンル |
海外文学 |
時代 |
15世紀 |
作者名のプロフィール
ヴィクトル=マリー・ユゴー1802年~1885年
フランスを代表するロマン主義の詩人・小説家で、フランス第二共和制時代は政治家も務めました。
軍人の家系であることから父親はユゴーを軍人にしたかったようですが、本人は詩作に夢中。
17歳の時にアカデミ-・フランセーズの詩のコンクールで1位を獲得、20歳の頃からロマン派の中心人物として活躍し始めます。
23歳の頃にはレジオンドヌール勲章を受け、ナポレオンに傾倒していくようになります。
しかし、独裁色を強めていくナポレオンに対して次第に反発。
反対派の弾圧対象となったユゴーはベルギーへ亡命し、以後19年間海外での生活を余儀なくされます。
1870年に帰国、祖国フランスの人びとに英雄として迎え入れられました。
1885年、パリにて83歳で死去し、国葬で葬られています。
ヴィクトル・ユゴーの代表作
・『レ・ミゼラブル』
1862年発表。
フランスロマン主義の大河小説で、ユゴーといえばこれ!といわれるほどの代表作として知られています。
たった1本のパンを盗んだことから人生が変わってしまった1人の男の壮絶な物語です。
・『九十三年』
1874年発表。
1793年に起こった「ヴァンデの反乱」を舞台としており、恐怖政治下におけるフランスに生きる人びとの姿を描いた物語です。
執筆当時のユゴーは70歳になっており、長編小説としては最後の作品になっています。
ノートル=ダム・ド・パリの主要登場人物
エスメラルダ |
ジプシーの美しい踊り子で、本作のヒロイン。幼い頃に生き別れた両親を探しています。小さな雌ヤギのジャリを連れ、踊り子として芸を披露しながら生計を立てています。 |
カジモド |
ノートル=ダム大聖堂で鐘番を務める男。生まれながらに醜い容姿であり、鐘番を務めるうちに耳も不自由になってしまいました。育ての親でもあるフロロには忠実に仕えています。 |
クロード・フロロ |
天才肌の聖職者で、ノートル=ダム大聖堂の司教補佐。聖職者の模範として神に奉仕してきましたが、やがてエスメラルダに歪んだ愛情を抱くようになります。 |
フェビュス・ド・シャトーペール |
王室射手隊隊長を務める男。ハンサムですが女癖が悪いことで有名で、婚約者がいるにもかかわらずエスメラルダをも我が物にしようとします。 |
ギュデール |
本名は、パケット・ラ・シャントフルーリ。ロラン塔の小部屋に住んでいることから、人びとから「おこもりさん」と呼ばれる女性。赤ん坊だった娘をジプシー女にさらわれた過去から、ジプシーを激しく憎んでいます。 |
ノートル=ダム・ド・パリの簡単なあらすじ
パリの街に現れた美しい踊り子、エスメラルダ。
彼女の美貌は、周囲にいる人びとの多くを魅了しました。
ノートル=ダム大聖堂の鐘つき男カジモド、ノートル=ダム大聖堂に務める聖職者フロロ。
そして王室射手隊隊長のフェビュスもまた、彼女に魅了された男たちの中の1人でした。
フェビュスとエスメラルダが急速に惹かれ合っていく中、フロロは聖職者としての立場から神と愛との狭間で激しく苦悩することに。
一方のカジモドは、ただ純粋に真心をもって彼女を愛していました。
三者三様の想いが入り乱れる中、やがてエスメラルダは魔女として死刑判決を言い渡されます。
ノートル=ダム大聖堂を舞台に繰り広げられた攻防の末、物語はエスメラルダとフロロの死によって終わりを迎えるのでした。
ノートル=ダム・ド・パリの起承転結
【起】ノートル=ダム・ド・パリのあらすじ① 物語の始まり
物語の舞台は1482年、教会が絶大な権力を誇っていた時代。
パリの街を見下ろすノートル=ダム大聖堂の前に、1人の赤ん坊が捨てられていました。
ノートル=ダム大聖堂の司教補佐を務めていたクロード・フロロは赤ん坊を拾い、「カジモド」と名付けて育てることにします。
やがて成長したカジモドは、ノートル=ダムの鐘つき男として大聖堂の中で生活をするようになります。
カジモドはとても醜い容姿をした男でした。
加えて目の上と背中にこぶがあり、眼も1つしか見えないというハンディを背負っています。
また、カジモドはノートル=ダムの鐘番として鐘をついているうちに鼓膜までやられ、いつしか耳も不自由になってしまいました。
しかし、カジモドは不幸ではありませんでした。
大聖堂の鐘は彼にとっての幸福であり、すべてだったのです。
【承】ノートル=ダム・ド・パリのあらすじ② それぞれの出会い
パリの街に現れた、ジプシーの踊り子エスメラルダ。
彼女は幼い頃に生き別れたという両親を探していました。
彼女の美しさは多くの人びとを魅了し、彼女の行くところは常に人だかりがあります。
エスメラルダは小さな雌ヤギのジャリを連れており、ジャリに仕込んだ芸を披露することで生計を立てていました。
そんな美しいエスメラルダの姿に、フロロはやがて心を奪われていきます。
聖職者でありながら女性を愛してしまったフロロは、神への奉仕と愛との狭間で苦悩します。
ついに自分の欲情を抑えきれなくなったフロロは、ある日カジモドを使ってエスメラルダの誘拐を画策。
しかし、その時カジモドの行く手を阻む者がありました。
王室射手隊隊長のフェビュス・ド・シャトーペールというハンサムな男です。
フェビュスはエスメラルダを助け出し、カジモドは捕えられてしまいました。
広場でさらし者にされる刑を受けたカジモドは縄でぐるぐる巻きにされ、公衆の面前にさらされます。
喉がカラカラに乾き、水を欲しがったカジモドですが、誰もまともにとりあってはくれません。
そこへ水を持って駆け寄ってきた美しい娘がいました。
その娘とは、エスメラルダです。
エスメラルダはただ1人、喉が渇いて泣き叫ぶカジモドを哀れに思い、水を持ってきてやったのでした。
生まれて初めて人間の優しさを知ったカジモドは、この時エスメラルダから受けた恩を決して忘れず、優しい眼で見守るようになります。
それは恋する者の眼であり、フロロは自分だけでなくカジモドまでもがエスメラルダに恋をしてしまったことに驚愕します。
そして、エスメラルダに恋をした男がもう1人。
彼女を救出したフェビュスでした。
エスメラルダもまた、ハンサムな上に自分を助けてくれたフェビュスに想い焦がれるようになっていきます。
しかし、実はフェビュスにはすでに婚約者がいました。
結婚を約束した女性がいながら、フェビュスはエスメラルダをも手中にしようとしていたのです。
このことを知らないエスメラルダは、急速にフェビュスに惹かれていきます。
ある夜、フェビュスとエスメラルダは人目を忍んで会うことになりました。
その現場を目撃していた男が1人。
嫉妬の渦に呑まれ、もはや聖職者としての立場を忘れたフロロでした。
フロロは2人が逢い引きしている現場に突如として踏み込み、フェビュスをナイフで刺してしまいます。
その光景を間近で目撃したエスメラルダはショックで気を失います。
フロロは気絶したエスメラルダのくちびるに自分のくちびるを押し付け、現場を後にしました。
その場には刺されたフェビュスと気を失ったエスメラルダ、そしてフロロがフェビュスを刺すのに使用したナイフだけが残されていました。
【転】ノートル=ダム・ド・パリのあらすじ③ 窮地からの救出
目覚めた彼女を待っていたのは、フェビュスを刺した犯人として「魔女」裁判にかけられることでした。
もちろん、彼女にはまったく身に覚えのないことです。
実はこれはフロロが仕組んだことでした。
フロロは自分がフェビュスを刺しておきながら、その罪をエスメラルダになすりつけたのです。
激しい拷問の末、彼女はついに自分がフェビュスを刺したという偽りの自白をさせられてしまいます。
裁判の結果は「死刑」、エスメラルダは断頭台へと連れて行かれることになりました。
その途上、エスメラルダを助けた者があります。
エスメラルダの優しさを知って以来、密かに彼女を見守り、愛し続けてきたカジモドでした。
カジモドはノートル=ダム大聖堂の小部屋に彼女をかくまいます。
エスメラルダは助けられたことに感謝はしたものの、カジモドのあまりの醜さにまともに顔を見ることができませんでした。
カジモドは自分の姿に怯えるエスメラルダに対して優しく語りかけ、いざというときのために彼女に笛を渡します。
耳が不自由なカジモドですが、その笛の音だけは聴こえるという理由でした。
エスメラルダが大聖堂で穏やかな日々を過ごす一方、フロロは大聖堂内にエスメラルダがいるというだけで居ても立ってもいられず、欲情に身を焦がしていました。
ついに我慢の限界が来てしまったフロロは、エスメラルダのいる小部屋に侵入し、彼女をものにしようとします。
身の危険を感じたエスメラルダは咄嗟にカジモドからもらった笛を吹きならします。
現れたカジモドは今にもエスメラルダに襲いかかろうとしている男をものすごい勢いで払い飛ばしました。
しかし、その男がフロロであることを知ってカジモドは衝撃を受けます。
カジモドにとってフロロは育ての親であり、忠実に仕えるべき主人でした。
その恩からカジモドもそれ以上は手出しができなかったものの、フロロもその場を引き上げていきます。
【結】ノートル=ダム・ド・パリのあらすじ④ 大聖堂での攻防
やがて、エスメラルダを取り戻そうと「奇跡御殿」の人びとが暴動を起こしました。
「奇跡御殿」はエスメラルダが普段暮らしている場所であり、パリ中の悪党や浮浪児が住み着いている危険な場所のことです。
フロロは暴動の矛先を大聖堂へと向けさせます。
暴徒が押し寄せてくることを感じたカジモドは、大聖堂で1人戦うことを決意。
カジモドは大聖堂のすべてを知り尽くしていましたから、戦いはほどなくカジモドの勝利に終わります。
エスメラルダの無事を確認すべく彼女のもとへ駆けつけてみると、すでに彼女はいなくなっていました。
大聖堂の混乱のさなかで、フロロが密かにエスメラルダを連れ出していたのです。
フロロはエスメラルダを断頭台へと連れていき、苦悩に満ちた愛の告白をします。
断頭台か自分かどちらかを選択するようエスメラルダに迫るフロロでしたが、エスメラルダの心にあったのはフェビュスただ1人だけでした。
かたくなに自分を受け入れようとしないエスメラルダに腹を立てたフロロは、エスメラルダをギュデールのもとに連れていきます。
ギュデールは本名をパケット・ラ・シャントフルーリという女性。
娘がまだ赤ん坊だった頃にジプシー女に娘をさらわれた経緯から、ギュデールはジプシーであるエスメラルダを激しく憎んでいたのでした。
憎しみからエスメラルダの腕を激しく掴んで離さないギュデールは、フロロが役人を呼びに行っている間もエスメラルダを罵倒し続けます。
しかし、ギュデールが娘の履いていた小さな靴の話をした時、状況が一変。
エスメラルダが首から提げている袋の中から、ギュデールが説明した通りの小さな靴が出てきました。
なんと、2人は実の母娘だったのです。
ギュデールはそれまでの態度を急に改め、エスメラルダを自分のいる小部屋の中に避難させます。
フロロが呼んだ役人はすぐそばまで来ていました。
エスメラルダのことを問い詰めるギュデールですが、かたくなに白を切り通そうとします。
なんとかその場を切り抜けられるかと思われたその時、役人たちの中からフェビュスの声が聞こえました。
愛しい人の声を聞きつけたエスメラルダはつい声を上げてしまい、役人たちに捕まってしまいます。
必死で抵抗するギュデールとエスメラルダでしたが、ついにエスメラルダは広場へと連れて行かれ、断頭台の露と消えてしまいます。
その光景を見て笑い声を上げた者がありました。
エスメラルダを断頭台へと送り込んだ張本人、フロロです。
フロロは怒り狂ったカジモドに背中から突き落とされ、パリの街へと呑まれてゆきました。
その後、カジモドの姿を見た者は誰もいません。
後でわかったことといえば、エスメラルダのものと思われる骸骨を抱きしめるようにして、異様な骨格の男の白骨が寄り添っていたことでした。
2人を引き離そうとすると、奇妙な白骨は粉々に砕け散ってしまいました。
ノートル=ダム・ド・パリの解説(考察)
この物語を印象づけているのは、「醜さ」と「美しさ」、「愛」と「嫉妬」といった対比です。
たとえば、カジモドは醜い男ですがエスメラルダは美しい踊り子として登場しています。
また、純粋な真心をもってエスメラルダを愛するカジモドに対し、フロロは嫉妬という感情に絡め取られていきます。
ノートル=ダム大聖堂という本来なら神聖な場所であるはずの教会が血なまぐさい愛憎劇の舞台になってしまうところも印象的ですね。
エスメラルダが処刑されるのはその美貌(=魔術)によって男を誘惑した「魔女」だからという理由によるもの。
なんとも信じがたいことですが、魔女裁判は実際に西洋で行われていたことであり、キリスト教とも深い関係にあります。
人間ドラマという見方だけではなく、宗教と人間という関係についても様々に考えさせられる内容になっています。
ノートル=ダム・ド・パリの作者が伝えたかったことは?
本作では、愛、嫉妬、憎しみ、執着など、人間がもつあらゆる感情がこれでもかというほどさらけ出されています。
こうした感情は、人間が人間である限り必ず抱くものです。
クロード・フロロも聖職者とはいえやはり1人の人間で、エスメラルダを愛してしまった以上その気持ちを忘れてしまうことはできません。
しかし、だからといってその愛情を抑えきれずに暴走してしまうとストーカー化し、相手を傷つけるだけのものになってしまいますよね。
フロロの場合はここに嫉妬も絡んでいるため、もはや自分の欲望のままに動く悪と化してしまいました。
聖職者の模範として神に仕えてきた男が、愛と嫉妬によって人生を狂わされていく。
それは、聖職者といえども完ぺきな人間ではないということを教えてくれています。
ユゴーが描きたかったのも、感情に揺り動かされ、支配されてしまうこうした人間の恐ろしさだったのではないでしょうか。
ノートル=ダム・ド・パリの3つのポイント
ポイント①『ノートルダムの鐘』の原作
『ノートルダムの鐘』として知られるアニメやミュージカルは、本作『ノートルダム=ド・パリ』を原作としています。
アニメはディズニーが制作していることもあり、ハッピーエンドで終わっています。
ミュージカルはアニメと原作をうまく融合させた内容になっており、壮大な物語となっています。
原作と違うのは、アニメ、ミュージカルともにカジモドを主軸にすえて物語が進行すること。
また、登場人物の1人フェビュスは、アニメ、ミュージカルではフィーバスという名で登場しています。
ハンサムなのは原作と同じですが、婚約者がいるという設定はなくなっています。
その姿はもはや原作のフェビュスとはまったく別人ですが、これは視聴者の中に子どもたちもいるということに配慮された結果といえるかもしれません。
ポイント②ユゴーの建築愛
本作では、章をまるごと割いてパリの建築や景観について述べられている箇所があります。
ノートル=ダム大聖堂という建築や、当時のパリの景観を仔細に描写することで、本編で繰り広げられる物語により臨場感を持たせています。
本編とは直接関係がないことについて延々と語られるため、実際には「ユゴーのうんちく」として読み飛ばされることも多い部分です。
しかし、建築美や景観に対するユゴーの深い愛が感じられる内容になっており、本作にかけるユゴーの想いが伝わってきます。
ポイント③現在のノートル=ダム大聖堂
現在のノートル=ダム大聖堂は、2019年に大規模火災が発生した影響で、尖塔と周辺の屋根が崩落してしまいました。
しかしながら、大聖堂内で保管されていた文化財や美術品の一部は焼失を免れており、大聖堂を象徴するパイプオルガンも無事に残っています。
火災後の建物の保全作業については、2021年には建物崩壊の危険がなくなるほどにまで進んでいます。
2024年に再び一般公開できることを目標に、現在も修復作業が続けられているとのこと。
ノートル=ダム大聖堂がその美しい姿を再び取り戻す日が待ち遠しいですね。
ノートル=ダム・ド・パリを読んだ読書感想
聖職者フロロがどんどん狂人と化していく様子は衝撃的でした。
フロロは聖職者であり、本来ならば神への愛をもって人びとを愛する立場にあるはずですが、エスメラルダの存在によって心がかき乱されてしまいます。
さらに、自分と同じようにエスメラルダに恋い焦がれる男たちの存在によって、フロロは激しい嫉妬の渦に呑まれてしまいます。
結果、フロロのエスメラルダへの愛は憎しみへと変わり、ついには彼女を断頭台へと送ることになります。
人を愛するのはとても素敵なことですが、激しい愛は時に人を狂わせてしまうということを目の当たりにし、戦慄が走りました。
カジモドもまたエスメラルダに恋する1人。
カジモドはその醜さから人びとから疎まれ、眼を逸らされ続けてきたことで意地悪な性格になり、自分も人びとを嫌うようになっていました。
そんなカジモドがエスメラルダとの出会いによって人の優しさを知り、エスメラルダを純粋に愛するようになります。
憎しみをもってエスメラルダを愛したフロロとは対照的ですね。
人の優しさに触れ、愛を知ることによって人はこんなにも穏やかに変われるんだということに気付かされました。
非常に深く、考えさせられる物語です。
ノートル=ダム・ド・パリのあらすじ・考察まとめ
ノートル=ダム大聖堂を舞台に繰り広げられる愛憎劇について書いてきました。
人間は様々な感情をもつ生き物、中でも愛は時に人を狂わせもし、穏やかな気持ちにさせてくれるものでもあります。
人は完ぺきではないので、他人に嫉妬したり憎しみを抱いてしまうことは、誰にだってあり得ることです。
こうした感情を抱いてしまうことは、人間としてとても辛いことですよね。
でも、だからといってフロロのように自分の黒い感情に支配されてしまっては、誰も幸せになることはできません。
ありのままの自分の気持ちと向き合い、乗り越えていく強さを身に付けた時、本当に人を愛することができるのではないでしょうか。