「女生徒」は太宰治の文章表現の「綺麗さ」が堪能できる代表的な作品です。
心の中での対話を吐露している様な文体にはリアリティーがあり、14歳の少女の心情を究極的に表現しています。
思春期ならではの物事に対する鋭利な批判的な視線や感情の起伏の激しさ、思考の散漫さが絶妙に描かれています。
「人間失格」でも「走れメロス」でもない第三の太宰治に出会うことができる作品です。
この記事ではそんな「女生徒」のあらすじからネタバレ・感想まで徹底解説していきます。
「女生徒」とは?
14歳の少女が朝起きてから夜眠るまでの平凡な1日を主人公の心情で綴られた作品です。
思春期に誰もが抱く心のモヤモヤを平凡な日常の出来事を通して緻密に表現しています。
作品の根底にある「自意識の揺らぎ」というテーマを見事に書き表した作品です。
作者名 |
太宰治 |
発売年 |
1939 |
ジャンル |
短編小説 |
時代 |
昭和初期 |
太宰治のプロフィール
太宰治(本名:津島修治)1909〜1948年
無頼派の旗手として戦前戦後に活躍した小説家です。
自殺未遂や薬物中毒など自己破滅型の人生を題材とした私小説を多く執筆しました。
青森県五所川原市で名家の六男として生まれます。
高校時代から文学に親しみプロレタリア文学の影響を受け左翼活動に傾倒していきます。上京し東京帝国大学文学部仏文学科に入学、小説家を志し井伏鱒二に弟子入りします。
芸者の小山初代と実家の反対を押し切り結婚し、分家除籍となります。
それに病んだか女給と無理心中を図ります。ところが女給のみ死亡してしまい自殺幇助罪に問われますが兄の奔走もあり不起訴となります。
バビナール依存症となり強制入院中に妻の初代が不貞行為が発覚し離別します。
その後、井伏鱒二の紹介で石原美智子と結婚し、子供も生まれ私生活は安定します。
終戦後、「斜陽」を発表し「斜陽族」が流行語になるなど人気作家の地位を獲得します。
しかし、再び生活が荒れてしまい健康状態が悪化してしまいます。
1948年、玉川上水に愛人と入水自殺を図り生涯を閉じます。
女生徒の特徴
思春期の女の子が日常生活を送る中で考えている事がそのまま書き表されている、というのが特徴だと思います。
感じた事を感じたまま言葉にする、日記の様な文体で表現されています。
若い女性にありがちな考えが飛躍しすぎるところや話しが突然切り替わるところなどが絶妙なニュアンスで構成されています。
女生徒の主要登場人物
わたし |
母親と二人暮らしの14歳の少女。育ちの良さを感じさせる。 |
お母さん |
夫と死別した未亡人。世間に馬鹿にされないよう努め、娘に対して愛情を注ぐ。 |
女生徒の簡単なあらすじ
主人公の14歳の少女は母親と二人暮らしです。
父親は早くに亡くし、姉はお嫁に行ってしまいました。
憂鬱な目覚めから一日が始まります。
学校では先生や友人の好きなところ、嫌いなところを探してしまいます。
帰宅すると客人がおり、夕食の支度をします。
その客人に対してよそ行きの顔接する母親を軽蔑します。
お風呂に入って眠ろうとすると先ほど母親に抱いた感情を反省し良い娘として生きていこうと思い直すのでした。
女生徒の起承転結
【起】憂鬱な一日の始まり
14歳の少女の「私」はいつもと同じ様に朝、目を覚ましました。
清々しい朝ではなく途方もない倦怠感を感じています。
鏡の前に立つとコンプレックスを感じている自分の目に目がいきます。
ただ大きいだけでつまらない光のない目をしていると思います。
飼い犬のジャピイとカアがやってきました。
白い毛並みが綺麗なじゃピイは可愛がるのですが、汚くて足の悪いカアには意地悪をしてしまいます。
カアは早く死ねばいいなどと考えてしまい、自分は厭な人間だと思います。
白い薔薇の刺繍をした下着をきてみることにします。
誰も気がつかないところでお洒落をしている事に満足感を覚えます。
朝食を済ませて学校へ向かいます。
雨は降らないと思うけれど、お母さんからもらった雨傘を携帯する事にしました。
この雨傘はお洒落でお気に入りです。
それだけで気分が高揚して楽しい空想を巡らせたくなります。ところが駅に向かう途中、労働者の一団と並んで歩く事になってしまいます。
彼らは厭な言葉を投げかけてからかってきます。
泣きそうになるのが恥ずかしくて笑いを作ってしまう。
それが悔しくて心が乱れないように強く清くなりたいと願うのでした。
【承】雑誌に書いてあること
電車の中で雑誌を開いて読んでいるといたたまれない気持ちになってきます。
自分はこの雑誌に書いてある価値観を取り入れて、それを満たす事で満たされた気になっているだけだと気がつくのです。
そんなインチキな自分が嫌になるのです。
そしてこの考えですらどこかに書いてあった事の受け売りである事と思考は堂々巡りしていきます。
自己批判をしても意味がない、何も考えない方が良心的だなどと考えてしまいます。
その雑誌の記事に「若い女の欠点」という見出しの記事が目に付きます。
「独創性がない、模倣だけ、理想なき批判に終始し実生活への還元がない。」自分の事を言われている様に感じて恥ずかしい気持ちになります。
ただ、この文章にもその欠点を克服する具体的な解決策は書いてありません。
わたしが欲しているのは具体的な解決方法でわたしを導いて欲しいのです。
学校で教えていることと世の中の理はずれていることも理解しています。
嘘をつかない人は出世しないでバカを見るそれが世の中の掟で、本当は思ってもいないことをその場の空気に合わせて話すことの方が自身にとって得だということもわかっています。 ですがそれを受け入れる事が出来ないのです。
そんな事を考えていたかと思うと次の瞬間には車内にいた30代の疲れたサラリーマンに目がいきます。
今ここで彼に微笑みかけたらそのまま将来結婚することになるだろうかなどと想像してしまいます。
異性に対する興味を抑えることができず、変な妄想をしてしまう自分を情けなく感じるのでした。
【転】学校で触れ合う人々
学校で図工の時間に写生をすることになりました。
伊藤先生は私にモデルになるように言いつけ、お気に入りの雨傘を持って薔薇のそばでポーズをとるように言われました。
伊藤先生は「死んだ妹を思い出す」などと言われます。
この先生は悪い人ではないのですが、どことなくポーズをとるところがあり、いやらしく感じます。
そう思うと、自分もよくポーズを取っている様に思われてきます。
自然に、素直にあるがまま生きたいと思います。
放課後は寺の娘のキン子さんと美容室にいって髪の毛をつくってもらいます。
内心ではこんなところに来て見た目を飾ったりする事は軽薄だと感じています。
大げさにはしゃぐキン子に嫌気がさしてきたのでバスに乗る事にして別れます。
バス停から家までの途中、草原に寝転んで綺麗な夕焼けを眺めます。
するとお父さんのことが思い出され、この夕焼けの美しさを伝えたいと思うのでした。
【結】お母さんへの思い
家に帰るとお客さんが来ていました。
着替えを済ませると台所へ向かい夕飯の支度を始めます。
お米を研いでいると、以前に住んでいた小金井の家の頃のことを思い出しました。
お父さんもお姉さんもいて賑やかで、ただ甘えていればよかった、そんな生活でした。
ところがお父さんが死んでしまい、お母さんはとても悲しみました。
夫婦の愛というのは何よりも尊いもので私にその代わりは務まりません。
お姉さんはお嫁に行ってしまい、私はいやらしくなってしまい甘えることがなくなりました。
お母さんは私をまだまだ子供扱いしています。
家計のことも相談してくれればものをねだったりもしないのにと考えたりしました。
来客の今井田さん夫婦と7歳の息子に夕食を提供します。
旦那さんは40歳ほどで色白の好男子です。
奥さんは小さくておどおどしている、ちょっとしたことにも大げさに笑ってみせる下品さがありました。
私は私で息子に可愛いがって頭を撫でたりしています。
食事が済むと私は台所で後片付けを始めました。あの場にいるのがいたたまれなくなってきたのでした。
お母さんも私がうやうやしく客人にへつらうのをよくやっていると喜んでいたし、務めは果たしたと思います。
お母さんは今井田夫妻に連れられて一緒に出かけてしまいます。
その間にお風呂に入るとにします。
ふと見た自分の体が大人の女性に成長していくことがもどかしく感じます。
風呂から上がると星を眺めに庭にでてみます。
するとまた、亡くなったお父さんのことが思い出されます。
お母さんが上機嫌で帰ってきました。
人の世話を焼くのが好きだから仕方がありません。
そして疲れたから肩を揉んで欲しいとお願いしてきました。
いうことを聞いてくれたら私が見たがっていた映画を見に行って良いと言います。
わざわざ用事を作って私が大手を振って映画に行けるように仕向けてくれるお母さんを愛おしく思いました。
肩を揉んでいるとお母さんの苦労を感じてきます。
お父さんがいないことで世間から馬鹿にされないように頑張っているのだと思い、今井田夫妻に対するへつらう母を恨んだことを反省します。
お母さんもお父さんがいなくなって辛いのに甘えてばかりいる自分を自省します。
するとどんどん心が整理されていきます。
新しい自分になれるかもしれないと思うと嬉しくなってきました。
洗濯を済まして寝支度をしていると先に布団入っていたお母さんが突然、欲しがっていた新しい靴のことを話し始めました。
庭ではカアの足音が聞こえます。
明日は優しくしてあげようと思うのでした。
女生徒の解説(考察)
14歳の少女の「私」は自意識との語らいで概ね苦悩し、時々楽しんでいる様にも感じます。
自分をとりまく世の中は不純に満ちていると感じ厭世的な思考に支配されています。
「人間失格」で語られている様な自分自身の「いやらしさ」も敏感に察知し嫌います。
この潔癖性は思春期にはよくみられます。
ところが次の瞬間には全く別のことを考えていたりします。
その時の感情に思考の方向が左右されることも特徴です。
そして出口のない苦悩の中でなんとか光を見出そうと思考する様が日常生活の中で綴られているのがリアリティーを生んでいると思います。
女生徒の作者が伝えたかったことは?
14歳の少女のリアルを表現したかったのではないでしょうか。
とても危うい時期で世の中や他者に対して攻撃的な思考が目立つのですが、一方でお母さんに対しては誠実でありたいと願っています。
お母さんの苦労を理解する事で愛おしく感じ、素直に言葉が出てくるようになります。
斜に構えた態度ではなく、正面から理解しようと努める事で自分自身の世界を広げる事ができるのだという事を伝えたかったのではないでしょうか。
女生徒の3つのポイント
ポイント①主人公にはモデルが存在する。
太宰治のファンの19歳の女性から1冊の日記が送られてきました。
その内容をヒントに女生徒は書かれたと言われています。
この女性とても嬉しかったでしょうね。
ポイント②アニメーション作品も制作されている
約14分の短編アニメーションが制作されています。
2014年の「美少女の美術史」に出品されました。
小説とはまた違った魅力が発見できるかもしれません。
ポイント③川端康成も絶賛
太宰治とは因縁深い川端康成も本作は素直に認めています。
文芸評で手法に対して「叙情的に音楽じみた効果をおさめている」と評しています。
女生徒を読んだ読書感想
この作品を書いた頃は太宰治が30歳前後に書かれた作品です。
ここまで少女の心情を緻密に表現できる事に驚きました。
自分もこんな時期があったなぁと、少しむず痒い気持ちで読み進めました。
今でいう「中二病」といわれる症状が散見していますが、どれも自分にも身に覚えがる感じがしました。
最後には優しい気持ちになれて良かったなと素直に思えました。
明日のなったらまたイライラして犬に意地悪をするのかもしれませんが。
女生徒のあらすじ・考察まとめ
誰もが思春期に抱くモヤモヤとした悩みはいつしか大人になるにつれて忘れていくものです。
ところが太宰治はこのモヤモヤを生涯抱き続けた人物だと思います。
だからここまでリアリティーをもった作品が書けたのだと思います。
決して解消される事のない悩みを抱え続けながら日常を過ごしていく、当事者にとってはとても苦しい事ですが、この作品を読んだ同世代の少女たちはきっと救われたと思います。
それは悩んでいるのは自分だけではないのだと思えるからです。