近代文学の代表作家と言えば、芥川龍之介を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
芥川は短編小説を多く生み出している作家ですが、そのなかでも「偸盗」は比較的長い作品です。
『偸盗』という作品名を聞くと、なんだか難しい作品なのでは?と思ってしまいますが、
実はこの作品、ドロドロの恋愛要素が含まれているんです。
この記事では、そんな「偸盗」のあらすじやネタバレから感想・考察まで徹底的に解説していきます。
偸盗とは?
誰しも恋愛をする上で、ライバルの存在を強く意識したことがあると思います。
もしもそのライバルが、自分の兄弟だったら・・・。
一人の女に惑わされる兄弟は、互いに対立し、やがて衝撃の結末を迎えます。
『偸盗』は、盗人たちが繰り広げる、命と愛の物語です。
作者名 |
芥川龍之介 |
発売年 |
1917年 |
ジャンル |
近代文学 |
時代 |
平安時代 |
作者名のプロフィール
芥川龍之介 1892年~1927年
幼い頃に母親を亡くし、叔父の元で育ちました。
とても勉強熱心で、21歳の時に合格最難関の東京帝国大学(現在の東京大学)に入学しました。
そして、23歳で「羅生門」を発表します。
恋愛に関してはかなり苦労したようで、大きな失恋や自身の不倫をきっかけに、35歳という若さで自らの命を絶ってしまいました。
作者名の代表作
芥川龍之介の代表作といえば、「羅生門」や「鼻」、「蜘蛛の糸」ではないでしょうか。
近代文学と言うことで、「難しい作品なのでは?」と倦厭されることもありますが、芥川作品はそのほとんどが短編小説です。
芥川は古典文学から創作のヒントを得ることが多く、「今昔物語」や「宇治拾遺物語」をもとにした作品が多く見られます。
今回ご紹介する『偸盗』は、『羅生門』の続編になるはずだった作品とも言われていますので、ぜひ『羅生門』とあわせてお読みください。
偸盗の主要登場人物
太郎 |
次郎の兄で、沙金に思いを寄せています。隻眼の男です。沙金率いる偸盗団のひとりです。 |
次郎 |
太郎の弟で、沙金に思いを寄せています。容姿が整っており、人当たりも良い青年です。沙金率いる偸盗団のひとりです。 |
沙金(しゃきん) |
男に媚びを売るのが上手で、かなりの美貌の持ち主です。偸盗団の頭も務めています。 |
猪熊の婆(いのくまのばば) |
沙金の母親です。太郎と次郎の仲を心配しています。 |
猪熊の爺(いのくまのおじ) |
血のつながりはありませんが、沙金の父親です。沙金と体の関係を持ったことがあり、太郎と対立しています。 |
阿濃(あこぎ) |
猪熊家の下衆女です。臨月の妊婦で、次郎に思いを寄せています。 |
偸盗の簡単なあらすじ
七月のある日荒廃した京の町で、猪熊の婆が今夜の盗みの予定を仲間に知らせてまわっていると、太郎に出会います。
太郎は近頃沙金と顔を合わせていないようで、沙金の様子を気にしていました。
続いて猪熊の婆は次郎に出会います。
話を聞くと、次郎は夕方沙金と会う約束をしているようです。
夕方になり次郎は沙金との待ち合わせ場所に向かいます。そこで沙金から
「今夜の盗みに紛れて、太郎を殺害しよう。」と提案されました。
次郎は迷いながらも、沙金のお願いを断ることができませんでした。
夜になり藤判官襲撃が決行されました。激しい闘いの中で猪熊の婆と爺は命を落とし、羅生門の上で待機していた阿濃は子供を産みました。
そんな中で、次郎は敵に囲まれて絶体絶命のピンチを迎えてしまいます。
そのとき、太郎が通りかかり次郎を救出しました。
翌日、猪熊の家で沙金が何者かに殺害されているのが発見されました。
阿濃がいうには、太郎と次郎が犯人らしいのですが、真相は不明なままです。
偸盗の起承転結
【起】偸盗のあらすじ①太郎と次郎のすれ違い
『偸盗』は、猪熊の婆が語り手を務める場面から始まります。
猪熊の婆は、今夜の盗みの手はずを知らせるために荒廃した京都の町を歩いていました。
最初に出会ったのは、太郎です。
太郎は今夜の予定を確認した後、すぐに沙金の話題に切り替えます。猪熊の婆は、沙金が太郎と距離をいていることを知っていたので、適当にあしらいます。
猪熊の婆は次に、次郎に出会います。
猪熊の婆は、太郎と次郎の両者が沙金に思いを寄せていることを知っていたので、「太郎に気をつけるように。」と忠告しておきました。
猪熊の婆は、太郎と次郎が争うことで沙金に危険が及ぶことを心配していたのです。
つぎに、語り手が太郎に移ります。
太郎は、冤罪で牢獄に入れられた太郎を助けるために偸盗だった沙金に手を貸したことを思い出していました。
次郎は自分に恩があるはずなのに、恋敵になったいま、沙金をゆずろうとする素振りは見えません。
太郎は沙金を手に入れるためならば、兄弟で殺し合いが起こってもおかしくないと覚悟を固めたのです。
つぎに、語り手が次郎に移ります。
猪熊の婆と別れた次郎は、沙金との待ち合わせ場所に向かいます。
次郎は、兄が自分のことを恋敵だと思っていることに納得していませんでした。
自分は兄に申し訳ないという気持ちを持っているのに、兄はそんな自分の苦しみを全く想像していないのです。
次郎は兄への罪悪感と沙金への想いの間で揺れ動いていました。
【承】偸盗のあらすじ②沙金の提案
次郎は待ち合わせ場所で沙金を待っていると、向こうのほうから沙金が今夜襲撃予定の藤判官の侍と並んで歩いてきました。
次郎は、誰にでも媚びを売る沙金を憎んでいましたが、その美貌を目の当たりにするとまた、誘惑に陥ってしまうのです。
そんな次郎に、沙金はある提案をしてきました。
太郎に馬を盗むように指示をして、それに紛れて太郎を殺そうというのです。
兄を殺すことに一瞬ためらった次郎でしたが、「あなたの爲なら妾だれを殺してもいい。」という沙金の言葉に、次郎の胸にはある決意が湧いてきました。
【転】偸盗のあらすじ③藤判官襲撃の夜
藤判官襲撃の夜、沙金率いる偸盗団は予定通り屋敷に向かっていました。
襲撃が始まり、激しい闘いのなかで太郎暗殺を試みた次郎でしたが、彼は窮地に立たされていました。
沙金から今夜の屋敷の護衛について情報をもらっていたのですが、闘いの途中で思いもよらないことに、野犬に囲まれてしまったのです。
次郎の頭には、「実は沙金は太郎に加えて自分のことも殺そうとしているのではないか。」という疑念が浮かんできました。
そのとき、沙金の頼み通り馬を盗んだ太郎が、その馬に乗って次郎の横を駆けていきました。
太郎はその瞬間に、「これは恋敵である弟を自分の手を汚さずに消し去ることが出来るチャンスである」と悟ります。
しかし、それと同時にあることばが強い衝撃を持って太郎の頭に浮かんできました。
それは「弟」という言葉です。
太郎は弟の元に戻り、野犬に囲まれている次郎を助け出しました。
【結】偸盗のあらすじ④沙金殺害
翌日、沙金が猪熊の家で殺害されているのが見つかりました。
当時、猪熊の家には沙金のほかに阿濃がいました。
彼女が言うには、太郎と次郎が沙金と揉めたあと、沙金を殺害したというのです。
沙金を殺した後でふたりは強く抱き合っていたとも証言しています。
阿濃は生まれつき白痴であったため、その言葉を信じる者はおらず、真相はわからないままでした。
しかし、沙金の死体の口は、次郎が着ていた水色の水干の切れ端をくわえていたそうです。
偸盗の解説(考察)
『偸盗』では、太郎と次郎の対比構造が色濃く描かれています。
太郎は顔に痘痕があり、隻眼であるため、容姿に自信を持てずにいます。
そして、「女の操は體にはない」と語っていることから、恋愛をする上で外見よりも内面を重視していることが窺えます。
一方で次郎は、整った容姿を持っており、沙金が太郎よりも自分に思いを寄せていることを自覚していました。
また、沙金が他の男に体を任せることをひどく気にしている様子から、恋愛において、外面を重要視していることが窺えます。
『偸盗』では、このように太郎と次郎の対比がわかりやすく設定されています。
そして、沙金を手に入れるために、次郎は太郎を殺そうとするのですが、最終的には兄弟で沙金を殺害するという衝撃的な結末を迎えてしまうのです。
藤判官襲撃の激しい戦闘場面で太郎が次郎を救う様子は、読者の心にいくらか安心を与えたのではないでしょうか。
沙金という女に惑わされて兄弟で殺し合うよりは、さわやかな終り方であるとも考えられます。
ここで多くの方が、『偸盗』は太郎と次郎の兄弟愛の物語であると認識したのではないでしょうか。
しかし、作者は『偸盗』のなかで「兄弟愛」のほかに、もうひとつ伝えたいことがあったのです。
偸盗の作者が伝えたかったことは?
芥川龍之介が『偸盗』のなかで伝えたかったことは、「女」という生きもののエゴイズム(利己主義)であると考えられます。
有名な話ですが、芥川龍之介は実生活で女性関係に悩まされていました。
芥川龍之介は、自らを惑わす「女」という生き物の醜く美しい部分を、「沙金」に全て投影しているように思えます。
そうして、最終場面で兄弟が沙金を殺害するに至る場面では、芥川龍之介が女性のエゴイズムにかなりの執念を持っていたことが窺えます。
芥川龍之介は『偸盗』のなかで、自らが苦しんできた女性のエゴイズムに打ち勝とうとしていたのではないでしょうか。
偸盗の3つのポイント
ポイント①芥川龍之介自身の評価
芥川龍之介自身は、『偸盗』を以下のように評価しています。
「「偸盗」なんぞヒドイもんだよ。安い絵双紙みたいなもんだ。」(松岡譲宛て書簡)
同時代評や研究者たちの評価は上々であるにもかかわらず、作者は『偸盗』の出来に満足していないようです。
芥川龍之介がこの作品のなかで、どのような失敗をしているのかを考えてみるのもとても面白そうです。
ポイント②”There is something in the darkness.”
芥川龍之介の執筆に使われたであろう「構想メモ」というものが残っていることは、皆さんご存じでしょうか?
このメモをみると『偸盗』は、芥川龍之介の代表作『羅生門』と深い関わりがあることがわかるのです。
”There is something in the darkness.”says elder brother in the Gate of Rasho.
構想メモに残されたこの言葉から、芥川龍之介は『羅生門』と同じように「世紀末の世界観」を『偸盗』のなかに描き出したのではないかと考えられます。
”暗闇の中にはなにかがある”
芥川龍之介は、暗く淀んだ世界の中に「希望的ななにか(something)」を探し出そうとしていたのではないでしょうか。
ポイント③母親としての無償の愛
作中に登場する阿濃という人物は、天性の白痴であるという設定です。
芥川龍之介は、なぜこのような人物像を創りあげたのでしょうか。
阿濃は現在妊娠中ですが、作品を読んでいくと、腹の子の父親は猪熊の爺であると考えるのが妥当です。
しかし阿濃は、「父親は自分が思いを寄せている次郎に違いない」と思っています。
芥川龍之介は、阿濃に母親としての役割を与え、無償の愛を表現しました。
もし阿濃が白痴という設定でなければ、腹の子に無償の愛を与えることはできなかったと思います。
天性の白痴であるからこそ阿濃は、作中で母親としての役割を全うできたのではないでしょうか。
偸盗を読んだ読書感想
冒頭でも述べたように、『偸盗』は芥川作品の中では比較的長い作品です。
何度も読んでいると、次から次へと疑問や異なる解釈が頭の中に浮かんできます。
「沙金が次郎を殺そうとしていたというのは本当なのか?」
「女性のエゴイズムに打ち勝とうとするその心が、まさにエゴイズムなのではないか?」
まだまだ考察の余地はたくさんありますが、確かに言えるのは、『偸盗』は何度読んでも面白い、味わい深い作品であるということです。
偸盗のあらすじ・考察まとめ
人間の愛情には様々な種類があります。
恋愛、兄弟愛、親子愛・・・
しかし、大概の人は愛を与えるだけでは満足できず、相手にも見返りを求めてしまうものですよね。
『偸盗』を読むと、愛とエゴイズムは紙一重であると、改めて思い知らされます。