『春琴抄』(しゅんきんしょう)は、谷崎潤一郎が46歳の時に発表した作品です。
40代の谷崎潤一郎は、
- 『卍』
- 『蓼食う虫』
- 『猫と庄造とふたりのおんな』
などの傑作を書き上げている他、『源氏物語』の現代語訳にも取り掛かるなど、作家人生における最高潮を迎えていました。
そうした中書かれた『春琴抄』は、1935年から6回に渡って映画化されてきたことからも、人気の高い作品であることがうかがえます。
ちなみに、「抄(しょう)」という字には、「書き出す」「書物」「注釈書」といった意味があります。
つまり『春琴抄』とは「春琴についての物語」といったところでしょうか。
今回は、『春琴抄』のあらすじや登場人物、考察などを紹介していきます。
「春琴抄」とは?
『春琴抄』は、谷崎潤一郎による中編小説です。
盲目の三味線奏者・春琴に、奉公として仕える佐助が献身的な愛を注ぐ姿が描かれています。
二人の異質な師弟関係が、谷崎潤一郎ならではの官能的な描写で綴られた名作です。
新潮文庫で144ページ、青空文庫でも公開されていることから、気軽に谷崎文学に触れられる作品となっています。
作者名 |
谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう) |
発売年 |
1933年(昭和8年)6月、『中央公論』に発表 1982年(昭和57年)年5月、中央公論社より初版発行 |
ジャンル |
純文学 |
時代 |
幕末〜明治 |
谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)のプロフィール
谷崎潤一郎(1886年(明治19年)7月24日 - 1965年(昭和40年)7月30日)は、明治末期から昭和中期に活躍した小説家です。
代表作に、『痴人の愛』『卍』『細雪』などがあります。
美のためなら反道徳的なモチーフであろうと表現するという「唯美主義」の作家で、その耽美で官能的な作風から数々のスキャンダルも呼び起こしました。
しかし唯一無二の芸術性は世界中で評価され、文化勲章を始めとする数々の受賞歴があります。
春琴抄の特徴
『春琴抄』の一番の特徴は、句読点や改行を極端に排除した文体にあります。
10行近く句点が無い箇所も多く、物語の区切りとして空行がある他は一度も改行されていません。
一例を取り上げてみましょう。
すると春琴が曰くもう温めてくれぬでもよい胸で温めよとは云うたが顔で温めよとは云わなんだ蹠に眼のなきことは眼明きも盲人も変りはないに何とて人を欺かんとはするぞ汝が歯を病んでいるらしきは大方昼間の様子にても知れたり且右の頬と左の頬と熱も違えば脹れ加減も違うことは蹠にてもよく分る也左程苦しくば正直に云うたらよろしからん妾とても召使を労わる道を知らざるにあらず然るにいかにも忠義らしく装いながら主人の体を以て歯を冷やすとは大それた横着者哉その心底憎さも憎しと。春琴の佐助を遇すること大凡そ此の類であった分けても彼が年若い女弟子に親切にしたり稽古してやったりするのを懌ばず偶ゝそういう疑いがあると嫉妬を露骨に表さないだけ一層意地の悪い当り方をしたそんな場合に佐助は最も苦しめられた。
引用:『春琴抄』
これだけの文量の中に句点はたった2つ、読点に至っては皆無です。
国語の授業で提出しようものなら、大量にバツを食らってしまいそうな書き方といえます。
しかし、不思議と読みにくさは感じられません。
谷崎潤一郎の卓越した文章力によるものでしょうか。
むしろ、直接語りかけられているかのような、落語を聞いているかのような、独特の印象をもたらしてくれます。
それだけでなく、句読点を脳内で補おうと注意深く読み進めさせられたような感覚すら覚えました。
谷崎潤一郎は、こうした効果も狙って独特の文体を採用したのかもしれません。
春琴抄の主要登場人物
私 |
語り手。佐助の書いた春琴の伝記である『鵙屋春琴伝(もずやしゅんきんでん)』を手に入れたことにより、春琴を知る。その後、春琴の墓を訪れる。
|
春琴(しゅんきん) |
本作の主人公。本名、鵙屋琴(もずやこと)。 大阪の道修町(どしょうまち)で代々続く薬屋の次女。 9歳で視力を失い、以後は三味線の道を歩む。 春琴は三味線奏者としての芸名。 |
温井佐助(ぬくいさすけ) |
江州(現在の滋賀県)の生まれ。 実家は薬屋で、父も祖父も見習い時代に鵙屋に奉公していたため、13歳の時に同じく鵙屋で奉公となる。 盲目の春琴に惹かれ、同化したいという強い願いから三味線の道に進む。 後に春琴の一番弟子となり、春琴の身の回りの世話も任される。 |
春琴抄の簡単なあらすじ
物語は、語り手である「私」が『鵙屋春琴伝(もずやしゅんきんでん)』という伝記を手に入れたところから始まります。
『鵙屋春琴伝』に書かれていたのは、春琴と佐助の甘美で歪な恋物語でした。
薬屋の名家の次女として生まれた春琴。
彼女は盲目でありながら三味線の名手で、奉行人の佐助は春琴の音楽に惹かれてゆきます。
同じ三味線の道を歩むことを決心した佐助は、春琴に弟子入りを果たします。厳しい稽古に耐え忍び、やがて春琴の身の回りの世話も任されるようになりました。
そして二人の師弟関係は異質なものへと姿を変えてゆき…
春琴抄の起承転結
【起】春琴抄のあらすじ①
文政12年(西暦1829年)、大阪にある由緒正しき薬屋の家に春琴が産まれます。
幼い頃から眉目秀麗であらゆる才能に秀でた少女、春琴。
9歳の頃に視力を失ってしまってからは、舞踊の道を諦め、三味線の稽古を始めることとなりました。
みるみるうちに能力は開花し、15歳を迎える頃には弟子たちの中で敵う者はいないほどの成長を遂げます。
毎日の三味線の稽古まで春琴を連れて行くのが、丁稚(でっち/商人の家で召し使いとして働く少年)であった温井佐助の役割でした。
佐助は春琴の4歳年上で、実家が薬屋であったことから春琴の家で働くようになりました。
春琴はプライドの高い性格で意地悪でしたが、そんな春琴の顔色をうかがいながら仕えることに、佐助は密やかな喜びを感じていたのでした。
春琴もまた、多くは喋らない佐助に手を引かれるのを好んでいました。
【承】春琴抄のあらすじ②
春琴を稽古場に連れていき、奏でられる曲を聴いているうちに、佐助は彼女と同化したいという情熱を燃やすようになります。
こつこつとお金を貯めて手に入れた三味線で、こっそり隠れて稽古を続けました。
やがて一家の者に知られてしまい、三味線は没収されてしまいます。
しかし、佐助の秘めたる才能に気づいていた春琴は、皆の前で腕前を披露させます。
その実力に家の者は感心し、春琴を孤独にさせまいという思いも重なって、佐助を春琴に弟子入りさせます。春琴11歳、佐助15の頃でした。
そんなある日、突如として春琴の妊娠が発覚します。
両親から激しく問い詰められても、春琴は父親の名を頑なに言いません。
春琴は17歳で出産します。佐助そっくりの子どもでしたが、父なし子と見なされ、まもなく養子に出されてゆきました。
両親は春琴と佐助に結婚を促しますが、二人はそれすらも拒みました。
【転】春琴抄のあらすじ③
やがて三味線の師匠が逝去し、春琴は20歳の頃に独立を決意。弟子を募集することとなります。
その頃には、春琴と佐助の仲はすでに公然のものとなっていました。
しかしプライドの高い令嬢の春琴は、目下のものに体を許したことを恥じ、佐助と夫婦として見られることを嫌いました。
佐助もまた、厳格な師弟関係に固執したまま、入浴からお手洗いまで春琴の世話を全て引き受けます。
春琴の稽古は特別に厳しいことで有名で、さらに抜きんでた才能や美貌も妬みの的となり、四方八方敵だらけという生活が続いていました。
そんな中、春琴37歳の時、突然何者かによって顔に熱湯を浴びせられてしまいます。
咄嗟に駆けつけた佐助に「見るな」と強く命じます。治療を受けた後も、醜くただれた顔を見られたくないと言います。
その訴えを厳守するため、佐助は自分の目を針で突き刺してしまったのでした。
盲目となった佐助は、春琴と同じ世界を味わえるようになったことを喜びます。
春琴もまた、自分の気持ちを理解してくれたことに感謝します。
二人は涙を流しながら抱き合うのでした。
【結】春琴抄のあらすじ④
事件以降、新しい弟子をとることはありましたが、佐助は変わらず春琴の世話を続けました。
盲目となったことで、春琴の美しさや音楽がより深く理解できるようになったと周囲に語ります。
春琴は佐助に「琴台」という号を与え、弟子をすべて引き継ぎました。
世間からの同情の目も相まって、門下生は順調に増えてゆきました。
春琴は昔の高慢さを失ってゆきましたが、佐助はそれを望みません。
以前よりもっと己を卑下し、昔のように手厳しく振る舞ってもらいたいと、全財産を捧げました。
二人が師弟関係にこだわったのは、佐助のこうした望みゆえでした。
春琴は明治19年(西暦1886年)10月14日、58歳でこの世を去ります。
佐助は盲目の世界の中に美しい春琴の姿だけを留めたまま、妻も愛人も持つことなく、83歳で大往生を遂げます。10月14日、春琴と同じ命日でした。
春琴抄の解説(考察)
この作品最大の事件、春琴の顔に熱湯がかけられる場面。一体、犯人は誰なのでしょうか?
これには、春琴の不出来な弟子であある「利太郎」なのでないかという説と、なんと佐助なのではないかという説があるようです。
「利太郎」は名家の息子で、春琴に一目惚れをし口説きますが振られてしまいます。
悔しがった利太郎は「覚えてなはれ」の捨て台詞を残し、春琴の前から姿を消しました。
事件が起こったのはその後。順当に考えれば、逆恨みをした利太郎による犯行と考えられます。
しかし作中では犯人は明らかにされていません。そこで浮かんでくるのが、佐助説。
彼の行き過ぎたマゾ性を考慮すると、「春琴の顔を醜くすることで自分だけを見て欲しい」「他の誰でもなく自分だけに厳しく当たっていてほしい」という、ゾッとするような動機があったとも捉えられます。
寝ても覚めても春琴の側にいたのは紛れもなく佐助ですから、最も犯行に及びやすい立場でもあります。
いずれにせよ、真相は闇の中。
こうしたミステリー小説のような楽しみ方ができるところも、『春琴抄』の魅力のひとつです。
春琴抄の作者が伝えたかったことは?
究極の愛とは何だろう?谷崎潤一郎の作品には、そんなことを考えさせられる力があります。
「マゾヒズムの極致」とも評される『春琴抄』は、まさに耽美派の頂点を極めた作品。
『痴人の愛』や『卍』を通して、谷崎潤一郎は独自の恋愛観を描き出してきました。
それは、主従関係から滲み出す「女性崇拝」の世界です。
春琴の美しさを留めておくために、自らの目を針で突き刺す場面は、谷崎潤一郎自身のテーマを直接的に表現した場面といえるでしょう。
春琴抄の2つのポイント
ポイント①:佐助=谷崎潤一郎自身?
『春琴抄』という作品を発表した頃、実は谷崎潤一郎は根津松子という女性と3度目の結婚を迎えたばかりでした。
熱烈な愛は止むところを知らず、なんと288通ものラブレターを送っています。
「私には崇拝する高貴の女性がなければ、思うように創作が出来ないのでございますが、それがようよう今日になって初めて、そういう御方様にめぐり合うことが出来たのでございます」
「もし幸いに私の芸術が後世まで残るものならば、それはあなた様というものを伝えるためとおぼし召して下さいまし」
「御寮人様の忠僕として、もちろん私の生命、身体、家族、兄弟の収入などすべて御寮人様の御所有となし、おそばにお仕えさせていただきたく、お願い申し上げます」
…などなど、堂々たる下僕宣言が書き連ねられています。
谷崎潤一郎は自らの欲望を佐助に投影させることで、「これは崇高な愛のかたちだ」と昇華させたかったのかもしれません。
ポイント②:春琴にはモデルがいる?
こうしたエピソードも残っているため、一見実話のように思われがちな『春琴抄』ですが、谷崎潤一郎の完全なる創作です。
ですが、主人公の春琴にもモデルがいます。
それは菊原初子(きくはらはつこ)という女性。
菊原初子は、人間国宝の箏曲(そうきょく)家です。
父の菊原琴治(きくはらことじ)も同じく箏曲家で、彼は盲目でした。
二人とも谷崎潤一郎と交流があり、初子は父の手を引いて谷崎潤一郎の邸宅に三味線の稽古に通っていたとのこと。
この父娘の様子が、『春琴抄』のモチーフとなったのだそうです。
春琴抄を読んだ読書感想
愛する人のために、自らの視力をも捨て去るという行為…皆さんは理解できますか?
正直、私には心の底から理解することはできません。
この「究極の奉仕」や「至極の主従関係」こそ、谷崎潤一郎の描き出す世界の醍醐味なのでしょう。
愛する者の美しさ・気高さのために、自らをどん底まで陥れていく。排他的とも言える究極の場所でのみ育まれる愛があるのでしょうか。
もしかしたら、谷崎潤一郎自身もそうした「ふたりぼっち」の世界を希求していたのかもしれません。
春琴抄のあらすじ・考察まとめ
谷崎潤一郎の『春琴抄』の、あらすじや考察について紹介しました。
今回のまとめは以下の通りです。
- 『春琴抄』は、春琴と佐助の恋物語
- ・谷崎潤一郎46歳の頃の作品
- ・句読点や改行が極端に削られた、実験的文体
- 「マゾヒズム小説の極致」でありながら、ある意味ミステリーでもある
「究極の愛」「マゾヒズム」といったワードにピンと来た方は、ぜひ春琴抄を読んでみてください。