近代文学の代表作家といえば、太宰治を思い浮かべるひとが多いのではないでしょうか。
太宰治は、「斜陽」や「人間失格」などが有名ですよね。
太宰の作品には、人間の醜い部分が細かい描写で描かれています。
今回ご紹介する『魚服記(ぎょふくき)』にも、人間が犯す罪が描かれているのですが、その描写がとてもさわやかで清々しいのです。
皆さんがよく知っている太宰治作品とは、少し違った味わいがあるかもしれません。
この記事では、そんな「魚服記」のあらすじやネタバレから感想・考察まで徹底的に解説していきます。
「魚服記」とは?
作者名 |
太宰治 |
発売年 |
1933年(昭和8年) |
ジャンル |
近代文学 |
時代 |
大正時代 |
「魚服記」の読み方は「ぎょふくき」と読みます。
太宰治によって執筆され1933年に発売されました。
太宰治のプロフィール
太宰治 1909年~1948年
青森県に生まれ、中学生の頃から同人雑誌に小説・戯曲・エッセイを発表しています。1927年の芥川龍之介の死に大きな衝撃を受けました。
1930年には東京帝国大学仏学科に入学します。
それから5年後に東京帝国大学を除籍になるまで2回の自殺を試みていますが、いずれも失敗に終わっています。
1948年に「人間失格」を完成させ、同年に愛人と入水心中をし38歳で死去します。
太宰治の代表作
太宰治の代表作は、「斜陽」や「人間失格」、「走れメロス」などです。
太宰は幾度に渡る心中未遂でパートナーの女性を亡くしており、精神が安定しない作家でした。
破滅的な私小説を多く発表していますが、結婚後は精神が安定し、明るい作品も増えたようです。
志賀直哉・森鴎外・芥川龍之介などから影響を受けています。
魚服記の主要登場人物
スワ |
15歳の少女です。馬禿山の茶店に、父親とふたりで暮らしています。 |
父親 |
スワの父親です。 |
学生 |
都会から植物採集に来ていましたが、馬禿山の滝に溺れて亡くなりました。 |
魚服記の簡単なあらすじ
ぼんじゅ山脈の馬禿山には珍しい羊歯類が生えています。
そこに、ある学生が植物採集にきていたのですが、足を滑らせて滝に落ちて亡くなりました。
滝のそばにある茶店の娘であるスワは、その様子をはっきりと見ていたのです。
お盆が過ぎて店をたたむ季節になると、父親は炭を背負って村に売りに行きます。
スワは、その間ひとりで留守番をしていました。
炭がよく売れると、父親は酒くさい息をして帰ってきます。
ある夜スワが寝ていると、突然のしかかる重みと疼痛を感じ、あの酒くさい呼吸を聞きました。
スワは「阿保」と叫んで走り出し、滝に飛び込みました。
スワは自分が大蛇になったと思い、滝の中をさまよっていましたが、実際は小さな鮎になっただけでした。
鮎はそのまま滝壺に向かっていき、木の葉のように吸い込まれていったのです。
魚服記の起承転結
【起】魚服記のあらすじ①ある学生の死
本州の北端の山脈に、ぼんじゅ山脈という山脈があります。
山脈のまんなかごろのこんもりした小山の中腹に、義経が船でぶつかったと言われている跡が残っています。
その小山は馬禿山と言われていて、麓の村から山を眺めると馬に似ていると言われていますが、実際は老いぼれた人の横顔に似ているのでした。
馬禿山の裏側には滝がしろく落ちていて、紅葉の季節になると山に遊びに来る人たちで賑わうのでした。
滝の下には、ささやかな茶店まで建っています。
今年の夏のおわり頃、植物採集に来ていた学生が滝に落ちて死にました。
滝は三方を高い絶壁で囲まれており、そこに羊歯類が生えているのですが、学生は絶壁のなかばから滝に落ちたのです。
滝の近くにいた数人がそれを目撃しましたが、茶店の娘がその様子をいちばんよくみていました。
学生の体はいちど滝壺深くに沈められて、それからすらっと上半身が水面から躍り上がってきましたが、それきりまたぐっと水底へ引きずり込まれていきました。
【承】魚服記のあらすじ②大蛇になった八郎の話
馬禿山のわきにある茶店の娘はスワという名で、父親と二人でそこに暮らしているようでした。
スワは生まれも育ちもこの山の中なので、ひとりで留守番をさせてもなんの心配もありません。
スワはどうどうと落ちる滝を眺めては、いつか水がなくなってしまうのではないか、どうして滝の形はいつも同じなのだろうかと思っていたのです。
しかし、この頃になって滝の形はけっしておなじでないことに気がつきました。
スワはこの日もぼんやり滝を眺めながら、むかし八郎という少年がこの川で大蛇になったという伝説を思い出していました。
そうこうしているうちに、父親が帰ってきました。
スワが父親に「おめえ、なにしに生きでるば。」と問うと、「判らねじゃ。」という答えが返ってきました。
スワが「くたばつた方あ、いいんだに。」というと、父親は一瞬手を振り上げましたが、「そだべな、そだべな。」と言っただけでした。
【転】魚服記のあらすじ③酒くさい息と疼痛
盆が過ぎて茶店をたたむ季節になると、父親は蕈や炭を村に売りに行くようになります。
父親は蕈でも炭でもよく売れると、きまって酒くさい息をして帰ってきました。
この日のスワは珍しく、父親からもらったたけながで髪を結んでいました。
その夜、父親を待ちわびたスワは炉端で寝てしまいました。
うとうと眠っていると、入り口に雪が舞いこんでいるのが見えて、夢心地ながらうきうきしていました。
突然疼痛が走り、からだがしびれるほど重くなりました。
ついでに、あの酒くさい呼吸を聞いたのです。
スワはわけもわからず外に飛び出しました。
滝の音がだんだんと大きく聞こえてきて、「おど!」とひくく言って滝に飛び込みました。
【結】魚服記のあらすじ④小さな鮒
気がつくとあたりは薄暗く、滝の音が幽かに感じられました。
ふと両脚を伸ばしたら、からだがすすと前に進みました。
スワは、自分が大蛇になってしまったのだと思いました。
うれしいな、もう小屋へ帰れないのだ、とひとりごとを言って口ひげを大きく動かしました。
スワは小さな鮒になっただけでした。
ただ、口をぱくぱくさせただけだったのです。
鮒はしばらくの間、小えびを追いかけたり、蕈の影に隠れてみたり、苔をすすったりして遊んでいました。
それから鮒はじっと動かなくなりました。
なにか考えているようでした。
やがてからだをくねらせながらまっすぐに滝壺に向かっていきました。
たちまち、くるくると木の葉のように吸い込まれていったのです。
魚服記の解説(考察)
「魚服記」の主なテーマのひとつとして、「死」が挙げられます。
この作品の冒頭では「学生の死」が描かれ、作品の最後では「スワの死」が描かれています。
スワの生活環境はとても閉鎖的なもので、それゆえに父親の影響を大きく受けているのだと考えられます。
スワが感じた「疼痛」とは、酒に酔った父親による近親相姦であると予想され、スワは唯一の生きる道しるべである父親から裏切りをうけたのです。
父親から裏切られたスワは、滝に投身します。
スワの死は、スワが大蛇になるという幻想的な手法で描写されています。
この大蛇というのは、昔父親から聞かされた「三郎と八郎の伝説」からきています。
兄である三郎のぶんの魚を勝手に食べてしまった弟の八郎が、大蛇になってしまうという伝説ですが、この「兄と弟」の関係が「父親と娘」に重ねられています。
血の繋がった家族間の裏切りの末路を、この伝説が示しているのです。
しかし、ここでひとつの疑問が浮かび上がります。
「三郎と八郎の伝説」にのっとれば、裏切りを働いた父親が大蛇になっているはずです。
なぜスワは、大蛇になったと表現されているのでしょうか。
実は作中には、「スワの裏切り」が隠されているのです。
魚服記の作者が伝えたかったことは?
太宰治が「魚服記」を通して伝えようとしたことは、「スワの裏切り」だったと考えられます。
そして「スワの裏切り」とはつまり、「スワの成長」のことではないでしょうか。
「スワの成長」がなぜ裏切りになるのかというと、スワの生活環境にそのヒントが隠されています。
先述したように、スワの育った環境というのは閉鎖的なものでした。
そしてその閉鎖的な環境に、同じく父親も暮らしていました。
父親にとって、スワが自分の思惑通りに行動するのは当たり前のことでした。
作中に、スワが「三郎と八郎の伝説」を聞いて涙する場面があります。
父親から、家族間の裏切りの代償を記憶にすり込まれていたのです。
しかし、スワも年頃の少女です。
滝の形がみなおなじではないことに気付いている様子は、スワが成長して、思考が複雑になっていることを示しています。
それに伴い、父親に「おめえ、なにしに生きでるば。」という問いかけをしてしまうのです。
「何のために生きるのか」という疑問は、スワの自我の芽生えを表わしています。
父親にしたがって生きる年齢を超え、自分で考えて生きていくようになったのです。
父親も、そんなスワの成長を察したのです。
父親が振り上げた手でスワをぶたなかったのは、「スワがそろそろ一人前のをんなになつたからだな」と堪忍したからでした。
父親によって「一人前のをんな」と認識されたスワは、近親相姦の対象になってしまいました。
そして、その関係性の崩壊はスワを「死」へと導いたのです。
魚服記の3つのポイント
ポイント①大蛇か鮒か
スワは滝に投身し、大蛇になったのだと勘違いしていましたが、実際は小さな鮒になっただけでした。
近親相姦の直前の場面では、夢心地で寝ているスワが描かれています。
そのときスワは、天狗の大木を伐り倒す音や山人の笑い声を聞き、入口のむしろをあけて覗き見している山人を目撃しています。
静かな山の中では不思議なことが起こるらしいですが、これまでの作品の雰囲気とは合いません。
初雪も相まって、幻想的な雰囲気に包まれています。
この夢心地のまま滝に飛びこんだスワは、小さな鮒になりました。
とはいっても、実際に鮒になったのかは定かではありません。
ここで読み取らなければならないのは、スワは自らの幻想通りに死を迎えることができなかったということです。
スワは自分の幻想通りに、大蛇になることが出来ませんでした。
しかも、それをスワ自身が自覚できていません。
つまり、スワがなしえた成長というのは、所詮は閉鎖的環境を抜け出すに至らなかったということなのです。
ポイント②たつた一人のともだち
スワは、羊歯類の植物や蕈を眺めると、「たった一人のともだち」のことを追想します。「たった一人のともだち」とは、作品の冒頭で出てきた学生のことです。
スワは、あの学生が滝の底に吸い込まれていく様子を見ていました。
山の中で育ったスワにとって彼は都会的で、知的に思えたに違いありません。
その彼が、あの滝の底に沈んだままになっているのです。
滝に飛び込んだスワは、岸辺の蕈や岩角の苔で一通り遊びます。
そして、しばらくなにかを考えている様子で、じっとしていました。
スワは、蕈や苔に触れたことでまた学生のことを思い出したのでしょう。
やがてからだをくねらせて滝壺に向かっていきました。
スワにとってこの学生もまた、ある意味幻想的な存在だったに違いありません。
ポイント③近親相姦の真相
「魚服記」を読み解くうえで、スワが感じた「疼痛」は本当に近親相姦なのだろうかという議論がなされています。
確かに、疼痛と体のしびれという表現だけでは、それがすぐに近親相姦であると決定づけることはできません。
しかし、近親相姦に繋がるように置かれた布石ともいえる場面が存在するのです。
まず、父親が「三郎と八郎の伝説」をスワに話すとき、父親がスワを抱いていたこと、涙を流したスワが父親の指を口におしこんでいたこと。
そして、あの夜スワが珍しく髪を結っていたことがあげられます。
髪を結う行為は、スワが女性であることを強調しています。
父親とスワは閉鎖的な環境で、父娘というには密接過ぎる関係にいたのではないでしょうか。
これらのことから、「疼痛」は近親相姦を示していると考えられるのです。
魚服記を読んだ読書感想
太宰治の多くの作品では、「死」というものが暗くどんよりした印象で描かれていることが多いです。
しかし、この「魚服記」では、スワの思い違いによって「死」が幻想的なものになっています。
近親相姦という人間の罪から、「死」というものへテーマがうつっていくにもかかわらず、さわやかな雰囲気に包まれているのです。
不思議な雰囲気の作品の中にいくつものテーマが入り組んでいて、短編にもかかわらずとても読み応えのある作品ですね。
魚服記のあらすじ・考察まとめ
人間は成長の過程で、おなじものをみていても、とらえ方が変わっていきます。
そして、その成長に自分自身が追いつけなくなってしまうこともあるでしょう。
「魚服記」にはそんな一人の少女の、幻想的な「死」が描かれているのです。