なめとこ山の熊は、高校の教科書にも記載されているので授業で習ったかたもいると思います。
宮沢賢治独特の言い回しが難解に感じられるかもしれませんが、ストーリー自体は難しいものではありません。
時代背景や宮沢賢治の生涯を知ることでもっと深く、作品を味わうことができると思います。
なめとこ山の熊と猟師、荒物屋の主人関係性は現代にも通じるものがありふとした時に思い起こされるかもしれません。
世の中がどうやって成り立っているのか、その中でも命の輝きを感じることができる作品だと思います。
今回はそんな「なめとこ山の熊」のあらすじやネタバレから読書感想まで詳しく解説していきます。
「なめとこ山の熊」とは?
作品内に出てくる「狐けん」が物語の本質にあります。
じゃんけんに似ていて、狐・猟師・庄屋を模した姿勢を出し合う遊びです。
ここでは、熊・小十郎・荒物屋の主人が該当します。
ただし、荒物屋の主人はまちに住んでいるので熊に襲われることはないという皮肉も込められていて、世の中には立場の弱いものと強いものが存在することを描いています。
作者名 |
宮沢賢治 |
発売年 |
1934年? |
ジャンル |
童話 |
時代 |
昭和初期 |
宮沢賢治のプロフィール
明治末期~昭和初期(1896年~1933年)に活躍した作家で、主に詩や童話を創作していました。
岩手県花巻市(旧稗貫郡川口村)出身。
なお岩手県は、宮沢賢治が思い描いた理想郷「イーハトーブ」の舞台でもあります。
宮沢賢治の主な作品
「注文の多い料理店」「風の又三郎」「やまなし」「雨ニモマケズ」など。
地質学・動植物・天文学・宗教など様々な分野への関心があり、造語を作るのが得意でした。
高等農林学校を卒業後、花巻農学校で農民芸術の教師をしていた経歴があります。
そのことがきっかけで、実家は質屋・古着屋にも関わらず、宮沢賢治は農業の世界にはまっていきました。
また妹のトシと仲が良く、トシの死を作品に残しています。
なめとこ山の熊の特徴
「なめとこ山の熊」は、宮沢賢治作品のなかでは珍しい口語で書かれています。
宮沢賢治の死後、1934年に刊行されたとする説が有力です。
資本主義経済の搾取をモチーフにしていると考えられています。
なめとこ山は、1990年ごろまで宮沢賢治の創造と考えられていました。
実在する山と分かったのは、明治初期に作成された「岩手県管轄地誌」が発見されたからです。
そこには、小岩井農場の南側に「那米床山」と記載されていました。
なめとこ山の熊の主要登場人物
小十郎 |
猟師。なめとこ山のふもとに住んでいる。 家計のためやむなく熊を狩っている。 |
犬 |
小十郎が連れている犬。 |
なめとこ山の熊 |
胆が有名。腹痛や鉛に効く。 狙われるのは迷惑だが小十郎が好き。 |
荒物屋の主人 |
小十郎の足元を見た商売をしている。 まちに住んでいるので、熊に食われることはない。 |
なめとこ山の熊の簡単なあらすじ
なとこ山で狩猟をしている小十郎。
なめとこ山の熊の胆は、腹痛や鉛に効くと有名だったのです。
小十郎は、罪のない仕事をしたいのですが、畑も持っておらず、木は国のものになり、里へ出ても仕事をくれる人がおらず、生計を立てるのに猟師になったのでした。
妻や息子は、赤痢にかかり亡くなってしまったので、年老いた母と孫の7人で暮らしていました。
熊の毛皮や胆を荒物屋に持っていっても足元を見られ安く買い叩かれてしまうのですが、小十郎はそれを受け止めていました。
ある日、熊の言葉がわかるようになった小十郎は、熊の親子や命乞いする熊を見て心が揺れます。
それでもお金を稼がなければいけないので、山に入って大きな熊の住処を目指すのですが、不意にやってきた熊にやられて命を失います。
小十郎は「熊ども、ゆるせよ」と思いながらも、どこか冴え冴えとして笑っているようにも見えました。
なめとこ山の熊の起承転結
【起】なめとこ山の熊のあらすじ①
なめとこ山という大きな山の中部から、90mほどの滝が流れていました。
そのふもとには、小十郎という猟師が住んでいて、なめとこ山の熊を狩って生計を立て、90歳になる母親と孫7人家族を養っていたのです。
なめとこ山は、1年の大半が霧か雲に覆われていました。
山を通る人はおらず、フキやイタドリが生えた獣道になっています。
そこには牛が逃げないように柵が立っており、12kmほど進むと、風が山頂を通り抜ける音が山の向こう側から聞こえるのです。
そんななめとこ山には、昔は熊がいっぱいいて熊の胆が腹痛に効くと有名でした。
鉛の湯の入り口になめとこ山の熊の胆ありという古い看板がかけられているほどです。
【承】なめとこ山の熊のあらすじ②
小十郎は体格のいい男で刀と鉄砲を持ち、大きい犬を連れて縦横無尽に歩いていました。
小十郎が連れていた犬が泳いで向こう岸に行ってしまったので、口を曲げながら後をついていく小十郎。
なめとこ山の熊たちは小十郎と犬のことが好きで、その様子を木の上や崖の上で面白そうに見守っていました。
けれど小十郎や犬が鉄砲を向けたり飛びかかってくるのは迷惑に思っていたのです。
中には、吠えながら立ち向かう熊もいました。
小十郎は撃ち殺した熊に、憎くて殺したのではなく、生活のために殺しているのだと伝えた後に、熊の胆と川で洗った毛皮を丸めてぐったりして谷を下るのでした。
その頃には、小十郎は熊の言葉がわかるような気がしていたのです。
ある春の日には熊の親子の楽しげな会話が聞こえ、胸がいっぱいになり小十郎は、熊に気づかれないようにそっと立ち去りました。
【転】なめとこ山の熊のあらすじ③
荒物屋の主人に熊の皮と胆を売りにいくと、前のがまだ余っているから要らないと言われ、結局2円という安い値段で買い叩かれてしまいます。
小十郎はその値段がかなり安いことは知りながらも暮らしのために受け入れていました。
ある年の夏、熊を狩ろうと鉄砲を向けたところ、熊が2年待ってほしいというのです。
2年したら熊は小十郎の家の前で死ぬからと言うので、小十郎は熊が逃げていくのをぼんやりと眺めていました。
そして2年後のある朝、小十郎が外に出たら熊が血をいっぱい吐いて倒れていたのです。
小十郎はおもわず拝みました。
1月のある日、縁側で糸を紡いでいる母親の前で小十郎は、自分も歳をとったから水へ入るのが初めて嫌になった気がすると伝えるのです。
笑うか泣くかするような顔つきを小十郎に向けた母親。
わらじを履いて小十郎が外に出ると、孫たちは早く出かけないととかわるがわる馬小屋の前で顔を出して笑って言いました。
【結】なめとこ山の熊のあらすじ④
白沢を登っていく時には、犬ももう息を切らして走っては止まりを繰り返していました。
小さな支流を5つ越えて、小さな滝のそばの崖を登って、大きい熊が住んでいた場所を目指しました。
頂上で休んでいた時に、犬が吠えだしたので小十郎がびっくりして後ろを振り返ると目をつけていた大きな熊が両足で立って向かってきていたのです。
顔色を変えた小十郎が鉄砲を打ったのですが、熊は倒れる様子もなく嵐のように黒く揺らぎながら向かってきました。
小十郎の頭ががあんと鳴ったかと思うと、耳に届いたのは、殺すつもりはなかったという言葉。
ちらちら青い星のような光が一面に見え「これが死ぬ時に見る光だ。熊ども、許せよ」と小十郎は思いました。
小十郎の死骸は、雪と月明かりで見ると1番高いところに座ったように置かれていたのです。
小十郎の顔は笑っているような冴え冴えしたように見え、何時間経っても化石になったように動きませんでした。
なめとこ山の熊の解説(考察)
なめとこ山の熊は、「オツベルと象」のように労働者と経営者に似た構造をしていて、搾取される側とする側を描いています。
けれど熊は、猟師の小十郎を嫌っておらず、小十郎もまた荒物屋の主人を咎めるようなことはしません。
法華経信者だった宮沢賢治の、全てを因果として心苦しいけれども、受け止めようという葛藤が表されていると考えます。
それは諦めではなく、その苦しい社会構造の中にも美しさを見出した宮沢賢治の集大成のように思います。
宗教で父親と対立し、質屋の家業を嫌った宮沢賢治ですが、それも因果だと思えたのではないでしょうか。
なめとこ山の熊の作者が伝えたかったことは?
「ビジテリアン大祭」を創作した宮沢賢治の答えが、同情で動物を食べるなというのは、十億人を飢餓で殺すのと同義であり、最小限の肉食と動物に食べられることを許容することを記載しています。
また、死者が輪廻転生により人や動物に生まれ変わるということは、人と動物に境界線はないとも言っています。
なめとこ山と熊は、それを端的に表した作品でもあります。
つまり、良いことも悪いことも全て巡り合わせであることを伝えたかったのではないでしょうか。
なめとこ山の熊の3つのポイント
ポイント①淵沢小十郎のモデル
淵沢小十郎のモデルには、2つ説があります。
1つ目は、宮沢賢治が盛岡高等農林学校の研究生の時に出会ったマタギ。
2つ目は、松橋和三郎と息子の勝治という説。
特に2つ目の説は、1990年代に牛崎敏也が述べたもので、その後も研究が続いています。
ポイント②メタフィクション
なめとこ山の熊は、語り手が人から聞いたり想像したメタフィクションの形をとっています。
「間違っているかもしれないけれども私はそう思うのだ」と書くことによってフィクションでありながら、私の考えは本物であるように感じます。
ポイント③熊の胆
熊の胆は、飛鳥時代から薬として使われていました。
熊胆(ゆうたん)と言い、胆嚢(たんのう)を乾燥させて作ったもので、漢方や消化器に効く薬として知られています。
鉛の湯の入り口になめとこ山の熊の胆ありと古い看板が立てられているという説明が作品内に登場しますが、この鉛の湯は、現在の花巻市鉛中平にある実在の温泉です。
なめとこ山の熊を読んだ読書感想
熊の死と人の死に違いはなく、死んだらまた生まれ変わるという輪廻転生を信じる宮沢賢治にとって、絶望と希望がおり混ざっているような内容だと思いました。
小十郎の死によって、熊を殺す人がいなくなることを喜び、小十郎自身が呪縛から解放されたのではないでしょうか。
熊と小十郎の関係や背景描写が切なくも、綺麗な表現で表されています。
なめとこ山の熊のあらすじ・考察まとめ
なめとこ山のふもとに住んでいる猟師の小十郎は、死んだ妻と息子の代わりに母親と孫の面倒を見るために熊を狩って生計を立てていました。
それでもなめとこ山の熊は小十郎と犬が好きで、山に入ってくるのを見守っていました。
荒物屋の主人は、小十郎が持ってきた熊の皮と胆を安い値段で手に入れます。
そうやって二束三文の生活をしながら小十郎は猟師をしていたのですが、ある日熊にやられて死んでしまいます。
その時の小十郎は、冴え冴えとした笑みを浮かべているようにも見えました。
この世はじゃんけんのようにバランスの良い関係ではなく、搾取するものとされるものに分かれていることに宮沢賢治の憤りが伝わってきます。
「なめとこ山と熊」は、誰かの死によって生かされているのだという自然の摂理を思い出させてくれる作品です。