皆さんには、幼い頃に夢中になって読んだ本はありますか?
小学5年生の頃、私は担任の先生に貸してもらった厚いファンタジー小説を、夏休み中かけて読んだことがあります。
その本を読んで感じたワクワクした気持ちや感動は、その年の夏休みの記憶そのもので、今でも思い返すことができます。
この記事では、そんな本を読む楽しさを改めて経験させてくれる作品、江戸川乱歩の「幽霊塔」を紹介します。
「幽霊塔」のあらすじからネタバレ、感想・考察までを徹底解説していきます。
「幽霊塔」とは?
この作品は、江戸川乱歩が「巌窟王」や「レ・ミゼラブル」などの翻案をした黒岩涙香の「幽霊塔」を再翻案したものです。
黒岩涙香のストーリーの大筋は守りつつ、乱歩特有のSF的な要素や、読者をあっと驚かす展開が加えられています。
江戸川乱歩を読んだことのない方でも楽しめると同時に、乱歩作品の魅力を味わえる作品であると言えます。
作者名 |
江戸川乱歩 |
発売年 |
昭和12(1937)年 |
ジャンル |
ミステリー |
時代 |
近現代 |
作者名のプロフィール
江戸川乱歩(えどがわ・らんぽ)
明治27(1894)年10月21日、三重県名張市生まれ。
怪人二十面相や名探偵明智小五郎の生みの親で、日本の本格推理小説の第一人者と言われています。
本名は平井太郎であり、江戸川乱歩という筆名は、アメリカの作家エドガー・アラン・ポーにちなんでいます。
早稲田大学の政治経済学科を卒業し、様々な職を経験したのち、大正12(1923)年に「二銭銅貨」で作家デビューしました。
昭和40(1965)年に脳出血で亡くなるまで、作品執筆のみならず、次世代の推理小説家を発掘するべく「江戸川乱歩賞」を創設するなどしました。
江戸川乱歩の代表作
江戸川乱歩の代表作は、「屋根裏の散歩者」「人間椅子」「パノラマ島奇談」「押絵と旅する男」「陰獣」などです。
デビュー作である「二銭銅貨」は、日本初の本格探偵小説とされ、暗号文を使ったトリックが魅力です。
推理小説でありながら、最後は落語のような落とし方で、ユーモアも感じさせる作品となっています。
乱歩作品は、読者を驚嘆させるトリックや、幻想的で怪奇な世界観が特徴です。
幽霊塔の主要登場人物
北川光雄 |
長い間売りに出されていた時計塔(幽霊塔)を買い取った退職判事の叔父を持つこの物語の主人公。 |
野末秋子 |
主人公が時計塔で出会った謎の女性。常に手袋などをして、手首を隠している。何か大きな使命を負っているという。 |
三浦栄子 |
主人公の許嫁。主人公が秋子さんに惹かれている様子に嫉妬し、何かと秋子さんを困らせようとする。 |
肥田夏子 |
秋子さんの付き人。太った中年の婦人で、猿を連れて歩いている。 |
長田長造 |
時計塔の元の持ち主であった渡海屋一郎兵衛の奉公人・長田鉄の養子にあたる人物。 |
幽霊塔の簡単なあらすじ
長崎にある古風な時計塔を叔父が買い取ったため、建物を下見に来た主人公。
そこで、野末秋子という謎に満ちた女性と出会います。
時計塔には、いくつかの噂やいわれがあり、人々から「幽霊塔」と呼ばれていました。
主人公の一家は、その幽霊塔を住みかとして整え、暮らそうとします。
しかし、謎の美女・秋子さんと幽霊塔を巡って、様々な事件が起きていくのでした。
幽霊塔の起承転結
【起】幽霊塔のあらすじ①謎の美女・秋子との出会い
大正4年頃のお話です。判事を退職した主人公の叔父は、長い間「化け物屋敷」と噂されて買い手が付かなかった時計塔を、老後の住まいとして買い取ることにしました。
主人公は、その叔父からの指図を受けて、時計塔の下見に来ていました。
この時計塔は元々、江戸時代末期の富豪・渡海屋市郎兵衛(とかいや・いちろべえ)が別邸として建てたものでした。
渡海屋は、自身が所有する金銀財宝を人目に付かないように隠すため、秘密の時計部屋を作りました。
しかし、財宝を運び入れようとした際に、精巧に作り過ぎたその時計部屋から出られなくなってしまい、そのまま亡くなったといいます。
それ以来、深夜には渡海屋の怨霊が屋敷をさまよい歩いていると噂が立ち、時計塔はいつしか幽霊塔と呼ばれるようになりました。
またその幽霊塔では、ほんの6年前にも怪事件が起こったのでした。
その頃幽霊塔は、若い頃に渡海屋に奉公していた長田鉄というお婆さんの所有になっていました。
お鉄婆さんは、養女と暮らしていましたが、6年前にその養女によって殺されてしまいました。
そして殺される時、苦しまぎれに下手人の手首に噛みついたといいます。
主人公はその話を思い返し、何となく怖々と幽霊塔に入って行きました。
すると、お鉄婆さんが殺された現場だと言われる部屋に、何者かの影がありました。
誰だ、とその人影に向かって主人公が問いかけると、ホホホと笑う女の声が返ってきました。
その人物は、二十四・五歳くらいで、ゴム製のお面をかぶっているような、欠点のない美貌を持った女性でした。
主人公は、その美貌に惹きつけられて女性の後をついて行きました。
すると女性は、和田ぎん子という人の墓を熱心に拝んでいます。
和田ぎん子は、6年前にお鉄婆さんを惨殺した者の名でした。
それは、判事であった主人公の叔父が裁いた事件で、和田ぎん子はその後無期懲役となって獄中で病死したといいます。
その和田ぎん子と、一体何の縁があって墓を拝んでいるのかと不可解に思った主人公は、墓に埋葬されている人物は友達だったのか、と女性に尋ねました。
しかし、女性は違うと言います。
謎は深まるばかりでしたが、なぜだか主人公はこの野末秋子と名乗る美しい女性に惹かれるのでした。
偶然宿が一緒と分かり、主人公は、幽霊塔の時計の巻き方を心得ている様子の秋子を叔父にも紹介しようと、夕食へ招きます。
謎の女性・秋子さんは、何か人には言えない大きな使命を負っている様子です。
夕食会は、主人公・秋子さん・秋子さんの連れの肥田夏子氏・主人公の叔父・主人公の許嫁である三浦栄子の面々で行われました。
主人公の叔父である児玉丈太郎氏は、秋子さんの顔を見て突然倒れてしまいます。
冷静に児玉氏を介抱しようとする秋子さんに、主人公の許嫁の栄子は、叔父はあなたを見て驚いて倒れたのだから、あなたはここにいない方が良い、と言いました。
児玉氏が気が付いて秋子さんの左手にすがると、秋子さんは慌てた様子で左手を隠すのでした。
その夕食会の次の日、主人公は児玉氏、栄子と幽霊塔を調べて回っていました。
そこで、かの渡海屋が書いたと思しき、秘密の呪文が書かれた一冊の本が見つかりました。
そこには、
「世の中が静かになったら、わが子孫は財宝を取り出さなければならぬ。鐘が鳴るのを待て。緑が動くのを待て。そして、先ず登らなければならぬ。次に下らなければならぬ。そこに神秘の迷路がある。委細は心して絵図を見よ。」
と書かれていました。
それは、あの渡海屋が隠したという伝説の宝の在処を示していると思われるものでした。
しかし、絵図は未完成で、呪文も何のことを言っているのか分からないのでした。
主人公も児玉氏も、秋子さんのことが気に入っている様子で、栄子は嫉妬し、主人公との婚約を破棄すると書き置いて家出してしまいました。
しかし、栄子にあきれていた様子の児玉氏は、秋子さんを代わりに養女にしようと考え、秋子さんもそれを承諾しました。
そして秋子さんはめでたく、児玉家の一員となったのでした。
【承】幽霊塔のあらすじ②幽霊塔での怪事件
時計塔の修繕も終わり、秋子さんを養女に迎え入れたお祝いも兼ねて、屋敷の披露宴を開くことになりました。
その会が始まる前、主人公は、秋子さんが見知らぬ男性と込み入った様子で話しているところに遭遇します。
その男性は、今日の招待客の1人である黒川弁護士でした。
黒川弁護士は、「あなたは僕の申し出を承諾して、僕と結婚するほかに生きて行く道はないのですよ」などと秋子さんに言っています。
秋子さんは答えかねていましたが、何か自身の弱みのためにはっきり拒否もしきれない様子でした。
披露宴には、家出した栄子も来ていました。
秋子さんに何か腹いせをしようと考えているようで、長田長造という男を連れてきていました。
この男は、お鉄婆さんの養子だと言います。
栄子は、秋子さんがお鉄婆さんと時計塔に何らかの関わりがあると考えて、皆の前で秋子さんに恥をかかせようと、当時の時計塔を知る人物を連れて来たのでした。
しかし、長造は秋子さんの顔に誰かの面影を感じながらも、秋子さんが何者であるか分かりかねている様子です。
彼は、幼い時から和田ぎん子とともにお鉄婆さんに育てられました。
お鉄婆さんは、2人を大きくなったら夫婦にするつもりでしたが、ぎん子は長造を嫌っていました。
どうしても結婚に同意しない様子に、お鉄婆さんは自分の相続人をぎん子と定め、銀子の機嫌を取ろうとしました。
しかし、それでもぎん子は承諾しようとしません。
長造は、結婚もしてもらえない、相続人にもなれないとお鉄婆さんを恨んで家出してしまいます。
お鉄婆さんはその内に何者かに惨殺されてしまいました。
長造はその時、お鉄婆さんが相続人を元の長造に書き換えようとしていたこともあり、遺言状書き換え前にお鉄婆さんを殺しても利益にはならないと、犯人と疑われることは無かったといいます。
その翌日、書庫で児玉家に来ていた栄子と話していると、突然主人公は刃物で背中を傷つけられ、倒れてしまいます。
そこまでの深手ではありませんでしたが、なぜか主人公は倒れたまま声も出せず、体も動かせなくなってしまいました。
その時、主人公に怒って出ていったはずの栄子と、秋子さんが言い争いながら書庫に入って来ました。
そして秋子さんは、倒れている主人公に気付き、介抱しようとします。
その最中、栄子は密室だったはずの書庫からどこかへ消えてしまいました。
主人公を手当てした医者の見立てによると、主人公を刺した刃物には毒草の汁が塗られていたのではないかと言います。
児玉家から家出したところではあったものの、消えた栄子に何かあったのではないかと心配し、警察や探偵にも依頼して屋敷を捜索してもらうことになりました。
捜索が進む中、裏庭の古池から風呂敷に包まれた首なし死体が見つかりました。
身につけていた持ち物から、その死体は栄子であるらしいと分かりました。
探偵は栄子に深い恨みを持った人物の犯行であると推理し、長造は秋子さんを疑っている様子です。
主人公でさえも、愛する人でありながら秋子さんのことを疑わずにはいられませんでした。
しかし、そうであっても秋子さんのことを救いたいと思うのでした。
主人公は、秋子さんに何らかの影響を及ぼしていると思われる男のあとを追って、岩淵というクモ屋の屋敷に辿り着きます。
その屋敷は、壁にも柱にもクモが棲みついている気味の悪い屋敷でした。
情報を得ようとするうちに、クモ屋敷の住人に見つかってしまった主人公は、傀儡の少年がいる暗い部屋に閉じ込められてしまいました。
主人公は、扉が厚く、部屋から出られないことを悟ると、ひとまず英気を養おうと敷かれていた布団に横になりました。
すると、布団に見知った残り香がします。その香りは秋子さんのものでした。
クモ屋敷の住人の話からも、どうやら秋子さんはこの屋敷に連れて来られたことがあるようでした。
朝になって閉じ込められている部屋を調べると、看護婦の白衣と、監獄で女の囚人が着る着物、用途の分からない薬品が見つかりました。
そして、着物からは芦屋暁斎という人物に宛てられた一枚の名刺が見つかりました。
何とか閉じ込められていた部屋を脱出した主人公は、クモ屋敷の主である岩淵に秋子さんについて問い詰めます。
岩淵は、名刺に書かれていた芦屋暁斎という先生が、秋子さんにとって神様にも等しい人物だと言います。
主人公はとにかくその芦屋暁斎に会おうと考え、一旦幽霊塔へ戻って来ました。
すると、叔父の児玉氏が何者かに毒殺されかけたという怪事件が、またも起こっていたのでした。
そして、その犯人の疑いは秋子さんにかけられているといいます。
主人公は、秋子さんにかけられている疑いをきっと晴らすと誓って、芦屋暁斎先生のもとを訪ねて行くのでした。
【転】幽霊塔のあらすじ③秋子の秘密
塔のある長崎から、芦屋先生のいる東京に訪ねていくと、部屋の四方にたくさんの鏡がかけられている、鏡の間に通されました。
芦屋先生との面会をそこで待っていると、1つの鏡の中に黒川弁護士の姿が見えました。
思わず鏡に向かって声をかけましたが、黒川弁護士は気付きません。
芦屋先生の準備が整ったようで、先生の書斎に通されました。
そこには、白髪白髭の老夫が、威厳ある様子で腰掛けていました。
その老父こそが、芦屋暁斎先生でした。
クモ屋敷で見つけた名刺を先生に見せ、秋子さんのことについて聞きたいと言うと、芦屋先生はおもむろに話し出しました。
「ああ、野末秋子か、美しい娘じゃった。あまりに美しいので、さすがのわしも術をほどこしかねたほどであった。」
先生の言うことが、主人公にはどういうことかさっぱり分かりません。
しかし、主人公が殺人の嫌疑をかけられている秋子さんの苦しい状況を話すと、「いや、ご心配なさるな。わしの手にかかれば、一点の曇りも残らぬように、いわば罪も何もない清浄潔白の身に生れかわるのです。」とひとり合点しているようでした。
そうしてひとまず金銭の取引の約束をすると、狭い階段を下った先にある秘密の地下室に案内されました。
地下室は広く、さまざまな器械が並んでいて、実験室や外科医の手術室のような雰囲気です。
先生は、「それでは、これから、わしの技量がどんなものか、その証拠をお目にかけよう。それには先ず、わしが最初秋子をどのように救ったか。救われる前の秋子はいったいどんなふうであったか。その生きた見本をお見せするのが、一ばん手っ取り早い。」と言って、目の前の金庫の中身を見るよう主人公に促しました。
主人公が緊張しながら金庫の中の箱の中身を見ると、そこには秋子さんの顔型がありました。いわゆるデスマスクでした。
それを見ても、まだどういうわけか分かりかねている様子の主人公に、先生はもう1つの箱も見るよう言います。
すると今度は、見知らぬ人の顔型が入っていました。しかし、どこかで見た顔のような気もするのです。
先生は主人公に言いました。「おわかりかな。これがわしに救われる以前の野末秋子じゃ」と。
衝撃を受ける主人公に先生は、この術は整形外科・眼科・歯科・耳鼻咽頭科・皮膚科・美容術などの総合技術で成りたっている人間改造術であると説明しました。
そして、まだ状況を飲み込み切れていない主人公に、重ねて顔型の裏側も見るよう言いました。
そこには、「和田ぎん子 明治四十年五月、養母殺シノ罪ニヨリ、長崎地方裁判所二於テ有罪ノ宣告ヲ受ケ、終身の刑ニ処セラレル。」と記されていたのです。
野末秋子という謎の女性は、あの老婆殺しの和田ぎん子であったのです。
何かの間違いではないかと主人公は驚きのあまり疑いましたが、和田ぎん子が野末秋子に変身した経緯を聞き、その事実を信じざるを得なくなりました。
芦屋先生によると、事のしだいは黒川弁護士が主導し、クモ屋敷にいた当時監獄医を務めていたにせ医学士や、監獄病院の看護婦であった肥田夏子氏の協力のもとで行われたと言います。
そしてまず、和田ぎん子に病気を申し立てさせ、監獄病院に入院する手はずを整えました。
その後に、ある分量を飲めば死に至るが、量を少しずつ調整すると脈拍も呼吸も一時的に止まり、仮死の状態となるグラニールという秘薬をぎん子に飲ませました。
そうして仮死状態となったぎん子の死体を、黒川弁護士は賄賂などを駆使して病院から引き取ったのでした。
その後、黒川弁護士の依頼を受けた芦屋先生のもとで、10ヶ月の間身を隠しながら、人間改造の手術を受けました。
生まれ変わったぎん子は、一旦上海に渡って適当な履歴を作ったのち、日本に戻ってきたという事でした。
自分が思っていた秋子さんはこのような過去のある女だったのか、と主人公は夢から冷めたような気分で、秋子さんをかばう気持ちが無くなってしまいました。
しかし、そう思いつつも、まだ自分が知らない事実があるのではないかと思い、幽霊塔へ帰ってしまう前に黒川弁護士の事務所を訪ねることにしました。
そこには秋子さんも居ました。
そうとは知らず、主人公は芦屋先生の話を聞いて、秋子さんへの愛情が冷めてしまったのだと黒川弁護士に話してしまいます。
秋子さんはそれを聞いて、ショックのあまり倒れてしまいました。
秋子さんに駆け寄ろうとした主人公を制し、黒川弁護士はかねてより秋子さんがひた隠しにしていた左手首を主人公に向かって見せました。
それは紛れもなく、お鉄婆が死に際に食いちぎったという手首の傷なのでした。
そうしているうちに、意識を取り戻して気がついた秋子さんは、主人公に他人行儀な態度を見せ、幽霊塔に帰ってしまいました。
黒川弁護士は秋子さんが去った後、主人公に取引を持ちかけました。
裁判で有罪と判決が下された和田ぎん子でしたが、当初より自身の無実を主張していました。
黒川弁護士は当時、真犯人の証拠をつかむことができませんでしたが、ぎん子の主張を尊重して脱獄の手助けをしたのだと言います。
そして、最近になってやっとぎん子が無実である証拠をつかんだのです。
取引というのは、和田ぎん子、つまりは秋子さんの無実を証明し、彼女を救うかわりに、主人公には秋子さんへの一切の思いを断ち切っていただきたい、という内容でした。
黒川弁護士は、自身が美貌のある秋子さんと夫婦になることを望んでいて、微塵も君のことを愛していない、と主人公が秋子さんに告げるよう要求したのです。
断腸の思いで主人公は要求を飲むことを約束し、明くる朝に幽霊塔へ向かいました。
【結】幽霊塔のあらすじ④秘密の迷路と、幽霊塔の真実
幽霊塔へ帰ってきて姿を探しましたが、秋子さんはどこにも見当たりません。
塔の中の者などに目撃情報を聞くとどうやら秋子さんは、あの幽霊塔の秘密の迷路へ向かったようなのです。
もしや自分の苦境を悲観して、自らそこで命を絶つつもりではないかと主人公は心配になり、秋子さんを止めるべく時計部屋の入り口を探し始めました。
そこで主人公はお鉄婆が最後を遂げた寝室で見つけた本に書いてあった言葉を思い出します。
「鐘が鳴るのを待て。緑が動くのを待て。」
この屋敷内で、鐘と言えば時計塔の鐘のほかにありません。
そして緑といえば、時計塔の機械室に、緑色に塗った金属板が組み込まれていたことを思い出しました。
急いで機械室に駆け上がり確認すると、緑がかった金属板と床の間が1、2寸ほど空いていました。
力任せに開こうとしますが、びくともしません。
途方に暮れていると、ちょうど8時の鐘が鳴りました。すると、緑の円盤が少しずつ空いていきます。
しかし、隙間はまだ8寸ほどしか空いておらず、人が通れるものではありません。
そして主人公は、時間によって、鳴る鐘の数によって、1時なら1寸、2時なら2寸というように緑の円盤が動く幅が変わるのだと気付きます。
この考えが合っているとすれば、ちょうど12時には12寸の間が空き、ぎりぎり人ひとりが通れる隙間となります。
主人公は12時になるまでに、迷路の中で必要になりそうなものを整えて時を待ちました。
そして12時。やはり鐘が1つなる度に緑の円盤が動き、最後には12寸ほどの隙間が空いたのでした。
主人公は素早く円盤の内部へ滑り込みました。
中には第二の関門が待ち受けており、そこでも鐘の打つ数を利用した扉がありました。
そのため主人公は、再び時を待たなくてはなりませんでした。
ようやく通れる隙間ができ、主人公は次なる迷路へ進みます。
その先は狭い通路になっていて、上りの階段と、下りの階段の二つの階段へと道が繋がっています。
何気なく下りの階段を降りようとしますが、またここでも主人公はあの暗号について思い出します。
「先ず登らなければならぬ。次に下らなければならぬ。」
この迷路では、渡海屋が残した暗号が道標でした。
階段を進んだ先には、逸話にあった渡海屋市郎兵衛と思しき亡骸がありました。
逸話は本当であったのだと主人公は思いながら、さらに先へ進んでいきます。
すると、そこには倒れ込んでいる秋子さんの姿が。
気が付いた秋子さんに、黒川弁護士が和田ぎん子の無実を証明してくれると言っているから、命を絶ってはいけない、と主人公は言いました。
そう言うと安心した様子の秋子さんは、主人公に噂の財宝の在処を教えました。
秋子さんが指し示したのは1つの厳重そうな箱でした。
主人公が、渡海屋の亡骸が握っていた鍵を箱の鍵穴に差し込むと、箱は開き、中には溢れるばかりの小判が詰まっていました。
秋子さんと共に主人公が地上へ戻ると、そこには栄子と長田長造、肥田夏子氏の飼い猿が横たわっていました。
長造氏はすでに絶命しており、栄子はそのうちに気がつきました。
目を覚ました栄子は、集まった塔の住人たちに向かって懺悔し、告白し始めました。
栄子は長造氏に唆され、秋子さんを罪人とする罠に嵌めようと共謀したと言います。
栄子は、お鉄婆の事件についての真相を長造氏から聞いていました。
長田長造氏こそが養母殺しの犯人で、庭の池で見つかった首無し死体は秋子さんに罪を着せるために、解剖実験用の死体を賄賂で引き取って用意したものだったのです。
そして今夜、この屋敷の財宝までも狙いはじめていた長造氏は、屋敷の部屋に忍びこんで秘密の入口を探っていました。
そうしていると突然落雷があり、その場に偶然入り込んでいた肥田夏子氏の猿と長造氏が雷と互いに驚いて、獣と人間の恐ろしい激闘となった結果、猿と長造氏は生き絶えてしまったのだ、と一部始終を見ていた栄子は語りました。
栄子の告白により秋子さんの無実は証明され、同時に主人公は黒川弁護士の要求に従う必要は無くなりました。
一連の事件のなかで、互いに信頼と絆で結ばれた主人公と秋子さんは、晴れて結婚し、幸せに暮らしました。
秘密の迷路で見つけた財宝は、ぎん子自身の体験から免囚保護の事業と、渡海屋氏の追悼の意味を込めて、彼が生前好きだった機械仕掛けにちなんで、科学研究所の設立の費用としました。
そして2人の運命を変える告白をした栄子はというと、全く心を入れ替え、免囚保護事業の女幹事として活躍することとなったといいます。
和田ぎん子の人生を救った芦屋暁斎先生は、どこかへ隠棲し、それによって人間改造術はこの世からなくなりました。
こうして幽霊塔の物語は、大団円を迎えたのでした。
幽霊塔の解説(考察)
この本は、江戸川乱歩が幼い頃に読んだ黒岩涙香の「幽霊塔」をもとにした作品です。
黒岩涙香は、イギリスのアリス・M・ウィリアムスンが書いた「灰色の女」という作品を翻案して「幽霊塔」を書きました。
翻案とは、翻訳とは違い、筋や事件は原作に従いながら、地名・人名・文化などを自国のものに置き換え、時代やその時の読者に合わせて作品を作り変えることを言います。
涙香と乱歩の「幽霊塔」を読むと、様々な違いに気付くと思います。
まず、涙香の幽霊塔では、舞台は原作のままイギリスで、登場人物が日本人名となっていますが、乱歩は舞台を長崎を中心とした日本にしています。
2つ目に、時計塔の秘密の部屋の謎を解くための暗号が、涙香本では漢詩で表されています。
乱歩本では、元は洋書に書かれた英文の設定となっていますが、それを読者に分かりやすいよう、平易な言葉で書いています。
そして3つ目に、涙香本では、乱歩本で長田長造にあたる高輪田長三の犯行の動機にあたるであろう事柄が、はっきりと書かれています。
乱歩は反対に、あえて犯人のアリバイを書いています。
それには、犯人を簡単に予想させないことで読者を楽しませる狙いがあったのではないかと思います。
また同時に、乱歩作品に見られる犯罪嗜好を犯人に持たせることで、自分の作品としてのオリジナリティを出そうとしたのではないでしょうか。
幽霊塔の作者が伝えたかったことは?
黒岩涙香の再翻案を通して、幼い頃に黒岩涙香を読んだ自身の体験のように、ミステリーを読む面白さや楽しさを伝えたかったのだと思います。
江戸川乱歩の書いた小説は、どれも乱歩にしか書けなかったであろう、個性的で魅力溢れる作品ばかりです。
しかし、それらの作品の裏には、小説のネタが尽きてスランプになってしまったり、戦時中の検閲の影響を受けて作品が発売禁止となってしまったりと、様々な苦労もあったようです。
それでも乱歩が作品を書き続けようとしたのは、やはり探偵小説やミステリーというものが好きだったからではないでしょうか。
自分の書いた「幽霊塔」で、ミステリーの世界観に興味を持ってもらうことが乱歩の狙いであり、願いであったのではないかと思います。
幽霊塔の3つのポイント
ポイント①幼い日の乱歩と「幽霊塔」
江戸川乱歩は、中学一年の夏休みに、温泉で1ヶ月程を過ごすという祖母について熱海へ行きました。
そこで出会ったのが黒岩涙香の「幽霊塔」です。
乱歩は貸本屋で借りたその本を、夢中になって読んだといいます。
のちに「探偵小説四十年」の中で、「熱海から帰って来て、一番深く残っていた感銘は何かと考えて見ると、温泉でもなく、海でもなく、軽便鉄道(=かつて熱海・小田原間を走っていた小型の機関車)でもなく、新鮮な魚類などではさらさらなく、熱海へ行かなくても読み得たであろう「幽霊塔」の、お話の世界の面白さであった。」と書いています。
乱歩にとって、黒岩涙香の「幽霊塔」は、ミステリーや探偵小説を書く原点とも言える作品なのでしょう。
ポイント②整理魔だった江戸川乱歩
東京・池袋には、現在立教大学の所有となっている「旧江戸川乱歩邸」があります。
昭和9(1934)年から亡くなる昭和40(1965)年まで、30年余り住み続けた場所で、生前に乱歩が自身の著書を保管するために作った「自著箱」なるものが収められています。
整理魔だった乱歩は、自著を発行順に並べ、特製の箱を作り、書名を書くラベルも自ら手書きしていました。
共同著書をラベルに書く時は赤字にするなど、乱歩の整理好きで几帳面な性格が伺えます。
ポイント③宮崎駿と「幽霊塔」
幼い頃、江戸川乱歩が黒岩涙香の「幽霊塔」に夢中になったように、宮崎駿もまた、小さい頃に江戸川乱歩の「幽霊塔」を夢中で読んだといいます。
宮崎駿は、東京・三鷹にあるジブリ美術館で幽霊塔の企画展を開催し、自身が口絵を描いたジブリ版「幽霊塔」も刊行しました。
ジブリ版の「幽霊塔」では、宮崎駿解釈の幽霊塔の内部がオリジナルのイラストで解説されています。
それと同時に、「幽霊塔」の乱歩本、涙香本、原作となったと言われるアリス・M・ウィリアムスンの「灰色の女」の描き方の違いが分かりやすく紹介されています。
興味のある方は、3つの「幽霊塔」を読み比べてみるのも面白いかもしれませんね。
幽霊塔を読んだ読書感想
物語を通して、ヒロインの秋子がとても魅力的です。
秋子を信じたり、疑ってしまったりと揺れ動く主人公の様子に、読者はとてもやきもきさせられます。
しかし、物語の主人公がそんな人間くさい人物だからこそ、自分の使命のために信念を貫いているヒロインがさらに魅力を増して見えると思いました。
物語は、展開がとても劇的で、ページをめくるたびにハラハラどきどきさせられます。
次はどうなっていくのか、果たしてハッピーエンドになるのかと思いながら、最後まで楽しんで読むことができました。
作品のジャンルとしては、ミステリーではありますが、謎解きの楽しみのみならず、物語の展開でも素直に読者を楽しませてくれます。
江戸川乱歩の魅力を味わえる、エンターテイメント性溢れる作品だと思いました。
幽霊塔のあらすじ・考察まとめ
「幽霊塔」という作品は、アリス・M・ウィリアムスンの「灰色の女」から、黒岩涙香、そして江戸川乱歩の手によって、時代を反映させながら様々な人の心を掴んできた作品だと言えます。
乱歩版「幽霊塔」では、江戸川乱歩が持つ独特かつ個性的な表現が加えられており、より魅力的な作品となっています。
この「幽霊塔」で、乱歩の書く世界に興味を持ったら、他の乱歩作品も読んでみることをお勧めしたいです。
幽霊塔の秘密の部屋の入り口のように、ディープで興味深く、一度入ったら抜け出せないかもしれない、そんな乱歩の世界があなたを待っていることでしょう。