印象的なタイトルのこの作品。
「ヴィヨンって何のこと?」と疑問を持たれる方も多いのではないでしょうか。
太宰治の最晩年に書かれた作品ですが、そこには『人間失格』のような暗さはなくむしろ奇妙な明るさと軽さにあふれています。
今回はそんな太宰治の「ヴィヨンの妻」のあらすじや魅力から、より楽しむためのポイントなどを詳しく解説していきます。
「ヴィヨンの妻」とは?
ヴィヨンの妻は太宰治が死の1年半前に書いた作品です。
彼が得意とする女性のひとり語りでつづられています。
タイトルのヴィヨンとは、15世紀のフランスでならず者の生涯を送った詩人フランソワ・ヴィヨンからつけられています。
この場合ヴィヨンは、主人公(私)の夫である酒飲みでだらしない詩人の大谷を指していますが、ここには太宰治本人の姿が投影されていると見てよいでしょう。
作者名 |
太宰治 |
発売年 |
1947年8月 |
ジャンル |
純文学(短編小説) |
時代 |
戦後直後の東京 |
太宰治のプロフィール
太宰治(本名・津島修治)は、1909年(明治42年)青森県津軽郡金木村に生まれました。
生家は明治時代に新興商人地主として一躍成長をとげた名家で、父は貴族院議員を務めています。
高等学校時代、芥川龍之介の自殺に衝撃を受け荒んだ生活を送るようになります。
東京帝国大学仏文科に入学後、井伏鱒二に出会い師事するようになります。
一方銀座のカフェに勤める田部シメ子と薬物心中を図り、自分だけが生き残るという事件も起こします。
さらに1931年(昭和5年)、3年来つき合いのあった小山初代と東京で所帯を持ちますが、他方で共産党のシンパ活動にのめり込みます。
翌年青森署に自首し、共産党の非合法活動から離脱。
1933年(昭和8年)井伏鱒二宅に近い杉並に転居し、はじめて太宰治の筆名で作品を発表します。
1937年(昭和12年)初代の過失が発覚し心中を図りますが未遂に終わり離別します。
1939年(昭和14年)井伏鱒二の紹介で出会った石原美知子と結婚し東京・三鷹に転居します。
その後作風が明るくなり、充実した創作活動を展開。
太平洋戦争中の疎開を経て三鷹の自宅に戻った太宰は、1947年(昭和22年)に太田静子の日記をもとにした『斜陽』を発表し流行作家となります。
1948年(昭和23年)『人間失格』を完成。
その後山崎富栄と共に三鷹の玉川上水に入水自殺しました。
享年39歳でした。
ヴィヨンの妻の特徴
飲んだくれで女癖の悪い内縁の夫・詩人の大谷と、彼を健気に支える妻(私)。
発育が悪く知的障害もある坊やを抱えた「私」は、家にも帰らず坊やにも関心を払わない夫をひたすら待つ生活をしていました。
しかし、小料理屋への夫の借金を返すためにその店で働きはじめたところから、彼女に変化があらわれます。
そして最後に「私」は大谷が思いもよらなかったような境地にいたるのです。
そんな「私」の変容が物語の見どころです。
ヴィヨンの妻の主要登場人物
私(さっちゃん) |
大谷の内縁の妻 |
大谷 |
私の内縁の夫。詩人 |
坊や |
4歳になる2人の子。発育が悪い |
椿屋のご亭主・おかみさん |
中野で小料理屋を営む夫婦 |
京橋のバーのマダム |
大谷の愛人 |
工員風の若い男 |
大谷のファンを自称する男 |
ヴィヨンの妻の簡単なあらすじ
ヴィヨンの妻とは簡単にまとめると次のようなお話です。
ある夜帰宅した大谷が、いつもと違う様子であるところから物語は始まります。
実は大谷は行きつけの小料理屋からお金を盗んできたところでした。
大谷を追いかけてきた小料理屋の夫婦から話を聞いた「私」は、夫の借金を返すためその店で働きはじめます。
そしてそのことをきっかけにして「私」にはある心境の変化が生み出されていくのです。
ヴィヨンの妻の起承転結
ここからはヴィヨンの妻を起承転結で分けてもう少し詳しく、物語のあらすじを説明していきます。
【起】ヴィヨンの妻のあらすじ①
深夜に帰宅した大谷は荒い息を吐きながら何か探し物をしています。
しかも「私」が声をかけると、いつもは無関心な坊やについて気遣うような言葉さえ発するのです。
「私」が不審に思っていると中年の男女が訪ねてきて「どろぼう」「金を返せ」と非難します。
大谷はそれに対し、手にしたジャックナイフを見せつけて逃げだしてしまうのでした。
私は訪ねてきた男女を引き留めて話を聞きます。
2人は中野で小料理屋を営む夫婦で、大谷は戦中からこの店にしょっちゅう通っては金を払わなかったといいます。
そして今夜はとうとう5000円を盗んで逃げたということでした。
その話を聞いて「私」はなぜか吹き出し大笑いをしてしまいます。
【承】ヴィヨンの妻のあらすじ②
私はとにかく2人に明日まで待ってほしいと頼み込みます。
そしてあてもないまま翌日に坊やを連れて出かけ、電車内で夫の書いた「フランソワ・ヴィヨン」という論文の広告を見てつらい涙を流します。
吉祥寺の井の頭公園を訪れた後、私は中野の店「椿屋」を訪ねます。
そしてすらすらと今日中に返せるからと嘘をつき、店を手伝い始めました。
器量のいい「私」はお客さんに好評です。
その日はクリスマス・イブ。
そこに大谷が京橋のバーのマダムと店にやってきて、マダムが金を返しました。
結果的に「私」の嘘はばれずにすみました。
【転】ヴィヨンの妻のあらすじ③
大谷のつけが2万円あると聞いた「私」は、「椿屋」で働くことを申し出ます。
それは「私」にとって浮き浮きした楽しいものでした。
そして、飲みに来た夫とともに帰宅する機会も増えました。
夫は語ります。
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と戦ってばかりいるのです」
「おそろしいのはね、この世の中の、どこかに神がいる、という事なんです。いるんでしょうね?」
「私には、分かりませんわ」と答える「私」。
【結】ヴィヨンの妻のあらすじ④
やがて「私」は世の中の人間たちがみな犯罪人だということに気づきます。
店の客も店に出入りする人間も何らかの罪を犯しています。
「私」は「我が身にうしろ暗いところが一つも無くて生きて行く事は、不可能だ」と思いいたります。
そして突如「私」は叫ぶのでした。
「神がいるなら、出てきてください! 私は、お正月の末に、お店のお客にけがされました」。
それは工員風の若い男で、彼に送られて帰宅した「私」は彼を家に泊めることになり、翌日のあけがた、あっけなく手に入れられたのだ、と。
翌日店に行くと夫は一人で酒を飲み、「5000円を持ってでたのはさっちゃんと坊やにいいお正月をさせたかったからだ」と見えすいた言い訳をします。
また新聞で自分のことが「人非人」と書かれていると嘆きます。
「私」は「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と答えるのでした。
ヴィヨンの妻の解説(考察)【罪を抱えることで強くなった妻】
この物語の見どころは「私」の変化にあるでしょう。
はじめはろくに家にも帰らない夫を、坊やを抱えてただ待つだけだった「私」。
ところが夫の盗みをきっかけに小料理屋「椿屋」を訪れるところから変化が現れます。
はじめは浮き浮きと楽しく仕事をしていた「私」ですが、やがて店のお客さんたちを見て、みな犯罪人であると考えるようになります。
そして「我が身にうしろ暗いところが一つも無くて生きて行く事は、不可能だ」と思いいたるのです。
そんな「私」は、店の客である工員風の若い男と関係を持つことによって自らも罪を抱え込むことになります。
翌朝、大谷に「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」と言う「私」は、したたかでたくましい女性へと変化をとげています。
ヴィヨンの妻の作者が伝えたかったことは?【新時代を生きる人間像の模索】
太宰治はこの物語を通して、単に一人の女性の変化を描こうとした訳ではないでしょう。
従来の価値観が転倒し混乱を極めた時代のなかで、自分たちはどう生きていくべきかを太宰は必死に模索したのではないでしょうか。
太宰治その人の姿を投影した大谷は「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と戦ってばかりいるのです」と言い、神を恐れています。
けれど「私」は罪を抱えこんだ結果、人間的に強くなります。
太宰治の模索した答えの一つが、「私」のたどりついた境地に示されていると言えます。
ヴィヨンの妻の3つのポイント
「ヴィヨンの妻」を読むうえで、知っておくとより楽しい知識をご紹介します。
ポイント①【『ヴィヨンの妻』初版の装幀・挿絵を手がけたのは林芙美子】
『ヴィヨンの妻』の装幀・挿絵を手がけたのは作家の林芙美子でした。
林芙美子の回想では次のように言われています。
「私はまた、太宰さんに乞われて、ヴィヨンの妻の本の装丁を引き受けたが、太宰さんは非常によろこんで、ヴィヨンの妻の本を三冊も下すつたのにはそのよろこび方がうなづけて嬉しかつた」(林芙美子「友人相和す思ひ」)
「太宰さんは、私には甘つたれる程甘つたれた人である。私もまたそれを許してゐた」(同上)
太宰は晩年芙美子の邸宅を何度も訪れ芙美子の家族とも慣れ親しんでいました。
ポイント②【山崎富栄は「さっちゃん」と呼ばれていた】
太宰治とともに玉川上水に入水した山崎富栄は「さっちゃん」または「スタコラさっちゃん」と呼ばれていました。
そのことから、ヴィヨンの妻のモデルは山崎富栄なのかという好奇心が湧きます。
ただ結論からすると、ヴィヨンの妻の初出の時期と太宰が山崎富栄に出会った時期がほぼ同時であることから、これは偶然の一致と思われます。
ヴィヨンの妻の「さっちゃん」像はあくまで太宰の思いを仮託した創作だといっていいでしょう。
ポイント③【又吉直樹は知らずに三鷹の太宰家跡に住んでいた】
太宰治は石原美知子との結婚を機に三鷹に家を借ります。
疎開時期を除くおよそ10年間の創作活動を支え、終の棲家(ついのすみか)となったのがこの家でした。
『火花』で芥川賞を受賞した又吉直樹は熱烈な太宰ファンとして知られますが、実は上京してはじめに住んだのがこの三鷹の太宰の住居跡に建てられたマンションだったそうです。
本人はそんなことも知らずに「太宰の書いた場所で、太宰の作品を貪るように読んでいた」と語っています(又吉直樹『東京百景』)。
ヴィヨンの妻を読んだ読書感想【妻はなぜけがされたのか】
「私」が店の客である工員風の若い男を家にいれ、その結果けがされてしまった経緯は、一見読者にとって不可解なものです。
大谷のいない家に、明らかに自分に気がある男を泊めるのは正気の沙汰ではないでしょう。
「私」はそこまで警戒心のない世間知らずな女性だったのでしょうか。
それは違うと思います。
ある意味で、彼女は確信犯だったのでしょう。
それは「神がいるなら、出てきてください!」という言葉に示されています。
大谷から「神はいるんでしょうね」と問われた「私」は、自分自身も罪を背負った人間となることで神を求めようと考えたのではないでしょうか。
それは大谷への愛であったのかもしれません。
ヴィヨンの妻のあらすじ・考察まとめ
この作品では「私」の変化を通して、混乱する世相のなかで生きる道が模索されました。
実際この物語では、物語のかなりの割合が「椿屋」の夫婦やお客さんの話に割かれています。
当時の状況を生き生きと描き出しているその筆致も、この作品の大きな魅力といっていいでしょう。