森鴎外の代表作としてあがる「舞姫」は彼の処女作でもあります。
一見、タイトル雅な日本の古都のお話かと思いますが、ドイツの踊り子さんの事でした。
著者の鴎外先生は、スキンヘッドにヒゲという強烈な見た目の印象ですが、明治天皇に拝謁するほどの高貴な身分の軍医でもあります。
舞姫は「そんな人物の実体験に近いと言われる若かりし頃の恋のお話」だと言われています。
今回はそんな舞姫のあらすじや感想からネタバレまで徹底解説していきます。
「舞姫」とは?
鴎外のドイツ留学時代の体験に基づいた小説であるとの見方が強い作品です。
内容が内容なだけに事実と断言はできませんし、創作もあるでしょうが様々な箇所で鴎外が過ごした空気感を感じる事ができます。
当時のベルリンの街の地名が多く記されておりリアリティを醸し出しています。
作者名 |
森鴎外 |
発売年 |
1890 |
ジャンル |
短編小説 |
時代 |
明治時代 |
森鴎外のプロフィール
本名は森林太郎(りんたろう)1862年〜1922年
明治、大正期の小説家、翻訳家、また陸軍軍医でもありました。
現在の島根県で医療業を営む名家に生まれます。
10歳で上京しドイツ語などを学び、12歳で東京大学医学部予科に入学します。
19歳で本科を卒業してからは父の病院勤務を経て、陸軍省に入省します。
そこでドイツ留学の機会を得ます。ベルリンでは舞姫のモデルとなったドイツ人女性と出会います。
帰国後、本格的に執筆活動を開始します。
日露戦争にも出征し、軍医のトップに就任します。その間も精力的に文筆活動を行い、「三田文学」の創刊に携わりました。
晩年は国立博物館総長や日本芸術院院長などを歴任しまし、肺結核のため60歳で亡くなりました。
舞姫の特徴
文体が明治初期の文体で記されていて、原文のままでは内容を理解することが難しいと思います。
私が読んだのはちくま文庫から出版されている井上靖訳の現代語訳版です。
本書は解説や資料なども掲載されています。
星新一や、鴎外の妹である小金井喜美子が寄稿文も収録されていて、本作をより一層深く理解する手助けをしてくれます。
当時の日本の社会で外国人との自由恋愛を描いた作品というは、とてもセンセーショナルであったのではないでしょうか。
舞姫の主要登場人物
太田豊大郎 |
国からドイツでの医学留学を推薦されるほどのエリート。 |
エリス |
級階層出身の踊り子。16、7歳の少女で父の葬儀代もない程困窮している。 |
相沢謙吉 |
豊大郎の友人。大臣の天方伯爵の秘書を務め豊大郎の将来を案じて取り計らう。 |
舞姫の簡単なあらすじ
ドイツに医学留学中の豊太郎は現地の踊り子の少女に出会います。
貧しい彼女の困窮を助けた事をきっかけに仲良くなり、家に出入りするようになります。
やがて少女の妊娠が発覚します。
豊太郎は一度、挫折した国の仕事という表舞台に返り咲く機会を得ます。
自分の将来と少女のどちらか究極の選択を迫られた豊太郎の答えは、衝撃的な結末に向かいます。
舞姫の起承転結
【起】ベルリン留学
教育熱心な家庭に育った豊太郎は東京大学法学部までトップの成績を修めていました。
順調に国の役所に入省しベルリンでの調査留学を命じられるに至ります。
豊太郎は赴任先のヨーロッパの大都会、ベルリンの街に圧倒されます。
宮殿や凱旋門など華やかな街並みに心躍らせます。
ベルリン大学で講義を聞いたり、調査書を作成したりと真面目な留学生活を始めます。3年程経過した頃には、役所の長官からも信頼されるようになります。
ところがこの頃から豊太郎の心には迷いが生じます。
母の言い付けの通りの人生を歩み、器械的な人物になっていく事に疑問を抱くのです。
次第に政治家や法律家になる事が自分には相応しくないと考えるようになります。
長官に提出する法律に関するレポートの内容にも私見を含むようになり、大学でも法律の講義より歴史文学の講義を聴くようになります。
この様な迷いが生じるのは自身が弱い人間だからだと分析しています。
官僚も道を志したのも大義があっての事ではなく、勉学に励む事で自分を欺き、他から自分を守っていたに過ぎないのだと考えています。
出港の時も船が港を離れると涙が溢れ出てきました。
そんな弱い自分を幼くして他界した父の存在がなく母の手で育てられた事に起因すると分析しているのです。
【承】エリスとの出会い
豊太郎は留学生仲間からどこか浮いた存在でした。
酒席にも姿を現さず、交遊を持とうとしませんでした。
それでいて豊太郎は優秀なので嫉妬される存在でした。
そんなある日、古い教会などがあるユダヤ人街で一人の少女に出会います。
16、17歳の美しい少女は泣いていました。
豊太郎は近づいてなぜ泣いているのかと問いかけようとしましたが声になりません。
すると少女の方から豊太郎の心配そうな顔を見て、すがるように自ら話し始めます。
父親の葬式代がなく、その事で母親と喧嘩をして殴られたというのです。
豊太郎は少女を励まし家に送ります。貧しい暮らしを伺わせる家にいた母親は突然の訪問客に警戒心をもって迎え入れました。
そこで少女は事情を話し始めました。
少女の所属する劇場の支配人であるシヤウムベルヒに父の葬式費用の用立てを依頼したが、逆に言いがかりをつけられてしまったのだといいます。
お金が用意できないと言いがかりに屈しなくてはいけないとの事でした。
そして、なりふり構わず豊太郎にお金の無心をするのでした。
豊太郎は時計を質種にするようにと言って渡します。それ以降、少女は豊太郎の住まいに訪れるようになり、交流を深めていきます。
そのはプラトニックな関係であったのですが、同郷人の中には豊太郎が少女と乱れた交遊をしていると噂されるようになってしまいます。
【転】母の訃報
読書好きなエリスに豊太郎は良書を貸して読ませ言葉の矯正を施しました。
おかげでエリスは訛りや、手紙の誤字も少なくなっていきました。
二人の関係は同郷人が疑うような不純は関係ではなく教師と生徒の様でした。
豊太郎を妬む同郷人が役所の長官にエリスとの事情を告げ口してしまいます。
学問においても横道に逸れたと認識されていた豊太郎は免職されてしまいます。
帰国するなら旅費を支給するが、滞在するのではれば公費の支給は停止するということでした。
1週間の猶予をもらい身の振り方を考えていると、2通の書状が届きました。
一通は免官を知った母からで、もう一通はその母の訃報を知らせる親族からのものでした。
豊太郎はすぐには帰国できないと感じていました。
それでもベルリンの滞在費を稼ぐ必要があります。
この窮地を助けてくれたのが留学生仲間の相沢謙吉でした。
彼は現在、東京で秘書官をしています。
某新聞社に掛け合って豊太郎にベルリン通信員の任を取り付けてくれたのです。
通信員の給料は官僚時代と比べると少なくなりました。
節制の必要に迫られ転居を考えていた豊太郎にエリスは同居を申し出ます。
心細い収入でしたが楽しい日々を送れるようになりました。
通信員の仕事も豊太郎には合っていました。
政治や文学、芸術などの生きた原稿を書くことに喜びを見出していったのです。
【結】究極の選択
順調かと思われた生活の最中、エリスが舞台で倒れてしまいます。
ものを食べては吐いてしまうエリス見て母親は「つわり」ではないかと慮ります。
豊太郎の元に相沢謙吉から手紙が届きます。
今使えている大臣に付き添ってベルリンに来ていて大臣が豊太郎に会いたがっているというのです。
緊張の面持ちで旧友と再会した豊太郎は大臣からドイツ語の文書の翻訳を委託されます。その晩、相沢と夕食を共にし、これまでの経緯や現在の境遇を包み隠さず打ち明けます。相沢は驚きこそしましたが、豊太郎を責めませんでした。
ただ、エリスへの情だけで学識、才能を無駄にして目的にない生活を送るべきではないと諌めます。
そして、豊太郎の復帰の道を示してくれるのです。
大臣は豊太郎の免官の理由を知っているので、それを庇って推薦することは心証がよくない、まずは持っている能力を示して信頼を得る事が得策であると。
ただし、エリスとの関係は終わりする事を強く求めました。
豊太郎は翻訳を一夜でこなし、徐々に大臣の信頼を得ていきます。
するとほどなく大臣からロシアへの随行を依頼されます。豊太郎は承諾します。
サンクトペテルブルクでは煌びやかな外交の世界を体験します。
相沢の思惑通りに事は進んでいました。大臣は豊太郎の事を信頼しています。
エリスは旅先にも手紙を書いてよこします。
当初は寂しさを訴えるものでしたが、次第に内容は切迫したものに変わっていきます。
妊娠の事実、エリスは日本一緒に帰る覚悟があるという内容でした。
年が明け、豊太郎が帰国します。エリスは喜びと安堵を持って豊太郎を迎えます。
そして産着をみせて産まれてくる子供は黒い瞳だと話してはしゃぐのでした。
後日、大臣からの信頼を勝ち得た豊太郎は帰国を促されます。
この名誉挽回の最後のチャンスを断る事はできませんでした。
その承諾は同時にエリスとの離別を意味しています。
なんと伝えていいのか苦悶し、ほとんど心神喪失状態で帰宅するとそのまま卒倒してしまいました。
数週間寝込んでいる豊太郎をエリスは看病します。
相沢も病床に伏している豊太郎を見舞いますが、エリスと別れられずにいる状況を察します。
そしてエリスに対し相沢は豊太郎が話せないでいた事を告げてしまいます。
エリスは発狂してしまいます。
豊太郎は母親に僅かな生活費を与え、エリスとお腹の子を残して帰国します。
そして相沢について得難い友ではあるが、憎む心が消えないと告白するのでした。
舞姫の解説(考察)
若い豊太郎は欧州の地で新しい価値観を吸収していきます。
その中で自由な恋愛を経験します。
新聞社の仕事とエリスとの生活は豊太郎にとって望ましい環境ではありました。
ですが、それは相沢からみれば「無目的な生活」でした。
豊太郎に親身に寄り添う友であるが故、それを一生続ける事はできないと考えたのでしょう。
その気持ちがエリスに対する非情な行動をとらせたのだと思います。
豊太郎が非常になれないのであれば自分がなるしかない、という事だと思います。
それに対し豊太郎は恨む気持ちがなくなりません。
正直な感情だと思いますが「それを言える立場じゃない」と誰もが思います。
これは作者も承知しているのではないでしょうか。
とことん自分を貶める事が目的であるように思えて仕方がありません。
舞姫の作者が伝えたかったことは?
本作は鴎外の実体験に基づく話であると言われています。
ドイツ留学や交友関係など実生活に類似点が多数あります。
わざとらしいと感じるほど自分がモデルであるという事を意識させる内容です。
「若気の至り」では許されないエリスへの仕打ち。
鴎外はそんな愚かな自分が許せなかったのではないでしょうか。
鴎外は本書を家族の前で朗読したとのエピソードも残っています。
名家の出身である自身の選んだ地位や名誉を汚す事が贖罪となるとかんがえたのではないでしょうか。
舞姫の3つのポイント
エリスのその後
最後に母に渡した手切れ金で日本にやってきたという記録があります。
エリスは黙って引き下がる女ではなかった様です。
鴎外の周辺は大慌てで対応します。
エリスは精養軒に滞在していた様ですが、鴎外は何度か会いに行っていたようです。
謝罪したい気持ちなのかそれとも純粋にエリゼに会いたいという気持ちがそうさせたのでしょうか。
元祖キラキラネーム
鴎外は子供に欧州の名前をつけました。
長女:麻莉(まり)次女:杏奴(あんぬ)次男:不律(ふりつ)三男:類(るい)
長女と次女を呼ぶときは「マリアンヌ」となります。
次男の当て字は他になかったのでしょうか。
当時の踊り子という職業について
パトロンという存在なしには成立しない商売という風潮があった様です。
それは例えばドガの名画「エトワール」などにも表されています。
華やかな踊り子にも裏の顔があったのです。
エリスはそういう仕事とは無縁であったと鴎外は語っています。
舞姫を読んだ読書感想
鴎外自身の自責の念が生んだ作品なのではないでしょうか。
エリゼを選ぶことのできなかった自分の不甲斐なさを恥じ続けたのではないでしょうか。
最後に相沢を憎む心が消えないと書いた意図はどういったものなのでしょうか。
だれもがお門違いな言い分だと思うでしょう。
ここに至った原因は全て豊太郎にあります。
これが鴎外自身に起きた実話に限りなく近い話であったとした場合、自分をとことんまで貶めたかったのではないでしょうか。
自分を「どうしようもないクズ」にしないと救われなかったのではないでしょう。
それでも完全に救われる事ではないとわかっていながらそうしないではいられない感情を読み取る事ができます。
この出来事は生涯にわたって苦しめたことでしょう。
舞姫のあらすじ・考察まとめ
本書に三者の解説文が掲載されています。
「資料・エリス」という星新一氏の考察文が収録されています。
実際の当時の人間関係などから作中の人物とつなぎ合わせて論じられています。
非常に興味深い内容です。
「兄の帰朝」小金井喜美子
森鴎外の妹でエリスが来日した際に彼女の夫が交渉の全面にたちました。
内容から妹もエリスの訪日には不穏な何かがあるという事を察知されているようでした。
お金も得られずに帰国する事になるエリスに同情をする記述がみられます。
「BERLIN 1888」前田愛
当時のベルリンの街の作りから作品を考察するアプローチがみられます。
ウンテル・デン・リンデンとアルトベルリンなどから華やかな国司留学生と踊り子のエリゼとの出会う隠の街との対比を豊太郎に与えています。