「武蔵野」という本の内容をご存知ですか?
「読んだことがない」「聞いたことがあるけど内容までは分からない」
という方も多いのではないでしょうか。
「武蔵野」は明治時代に国木田独歩が自然に触れ合いながら、武蔵野の風景を詩趣(ししゅ)として書いた随筆作品です。
今回は、そんな「武蔵野」のあらすじと魅力、楽しく読むためのポイントなどを詳しく解説していきます。
「武蔵野」とは?
1896年(明治29年)に渋谷村(現:渋谷区)に移り住んだ国木田独歩がそこに広がる武蔵野の風景を表現した作品です。
武蔵野という呼び名は昔からあったものの、そこに含む範囲は時代によって異なるようです。
「武蔵野」の原題が「今の武蔵野」であったことからも分かるように、国木田独歩は当時の武蔵野のありのままの詩趣(ししゅ)を書き残そうとしました。
作者名 | 国木田独歩 |
発売年 | 1898年(明治31年) |
ジャンル | 随筆 |
時代 | 明治時代 |
作者名のプロフィール
国木田独歩は1871年(明治4年)、不義の子として産まれます。
青年期はそのことに思い悩むことになりました。
父(実父)の仕事の関係で5歳から16歳まで山口、萩、広島、岩国などで過ごしました。
1888年(明治21年)に東京専門学校(現:早稲田大学)に入学し、徳富蘇峰と知り合い、多大な影響を受けて文学を志すようになります。
その後、キリスト教徒となり、専門学校を退学。
1894年(明治27年)に医師の娘である佐々城信子と知り合い、熱烈な恋に落ち、信子の両親の反対を押し切って結婚します。
しかし、貧乏に耐えかねた信子は、翌1896年に失踪し、独歩は大変なショックを受けます。
作家活動を再開した独歩は、1898年(明治31年)に二葉亭四迷訳の『あいびき』に影響を受け、「今の武蔵野」(のち「武蔵野」と改題)を発表、「初恋」などと合わせ浪漫派として活動を始めます。
1903年(明治36年)発表の「運命論者」「正直者」などで自然主義の先駆となりました。
晩年は雑誌の発行などジャーナリズムに精力を傾けます。
1908(明治41)年、肺結核のため死去。
享年36歳でした。
武蔵野の特徴
小説というよりは随筆(自己の体験や感想を書いた文章)です。
自分の日記や江戸時代の文献、友の手紙などさまざまなものに照らしては、今の武蔵野の素晴らしさをいくつかの観点から述べています。
そこには、自然の営みや風景を余すことなく正確に表現しようという思いが感じとれます。
たとえ現代の私たちが国木田独歩の見た武蔵野を知ることができないとしても、その情趣がなお、豊かにイメージされる作品になっています。
武蔵野の主要登場人物
僕・自分 | 語り手 |
ある友 | ともに武蔵野を逍遥 |
茶屋のばあさん | 自分や友と言葉を交わす |
武蔵野の簡単なあらすじ
「武蔵野」とは簡単にまとめると、次のようなお話です。
今の武蔵野を語りたいと思い立った作者が、さまざまの角度からその魅力を述べていきます。
はじめに、秋の始めの季節が移りかわる時期を丁寧に描写し、大空、野、日の光、落葉林、音、季節を語ります。
後半は、路、水田、畑など「生活と自然との配合」に独特の美、詩趣を見出します。
武蔵野の起承転結
ここからは「武蔵野」を起承転結で分けてもう少し詳しく、あらすじを説明していきます。
【起】武蔵野のあらすじ①
「画や歌でばかり想像している武蔵野をその俤(おもかげ)ばかりでも見たい」「それほどの武蔵野が今ははたしていかがであるか」と語り手は1年前に思い立ちました。
武蔵野は「美といわんよりむしろ詩趣」と述べ、自分の日記をもとに29年秋の初めから春の初めまでの武蔵野の風景をありのままに描くのです。。
【承】武蔵野のあらすじ②
昔の武蔵野は萱原(かやはら)の美と伝えられているが、今の武蔵野は林であると述べます。
楢(なら)の類の落葉林。
もともと日本人は、落葉林の美を知らなかったと思われるが、自分はツルゲーネフ(二葉亭四迷訳の「あいびき」)によってそれを知ったと述べます。
そして黄葉し落葉したあとの静けさ、そこに聞く音、時雨、日の光を語ります。
【転】武蔵野のあらすじ③
再びツルゲーネフを引用しながら語り手は、秋から冬の風景の特徴をとらえます。
大洋のうねりのように高低起伏した地形の中の水田や畑、農家。
「ここに自然あり、ここに生活あり」という武蔵野の他にはない特色を上げます。
そしてまた、武蔵野の路について述べながら「林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこのように密接している処(ところ)がどこにあるかと感慨を述べます。
【結】武蔵野のあらすじ④
3年前の夏、友と小金井に行ったエピソードが語られます。
立ち寄った茶屋の婆さんが「今時分何しに来ただア」と問い、小金井の桜は有名なので、春ではなく夏に来た2人に呆れているのでした。
そんな例を引きながら、語り手は武蔵野の夏の日の光の素晴らしさを語りワーズワースの詩を引用します。
また武蔵野の範囲を「東京市の町外れ」まで含むものとし、次に武蔵野の水流が町の上水に通じていることを述べます。
そして「一種の生活と一種の自然とを配合」した場処(場所)が「自分の詩興を喚(よ)び起こす」のであり、それは「人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるから」であるとしています。
武蔵野の解説(考察)
子供時代を中国地方で過ごした国木田独歩は上京して10年ほどたってから武蔵野の落葉林の美を知ることとなります。
興味深いのは、そのきっかけが二葉亭四迷の訳によるツルゲーネフの「あいびき」であったということです。
「あいびき」は『猟人日記』の中に収められた短編です。
この作品は白樺林の美しい描写の中に、反農奴制のメッセージをも込めたものでした。
国木田独歩はこの作品の美しい自然描写に感化されます。
作中では「自分がかかる落葉林の趣きを解するに至ったのはこの微妙な叙景の筆の力が多い」と述べています。
海外文学の伝播のしかたとしても面白いところでしょう。
武蔵野の作者が伝えたかったことは?
細かくに描かれた武蔵野の風景が続く作品です。
もちろん第一に、国木田独歩は自分の愛する武蔵野の美、いや詩趣を伝えたかったのでしょう。
同時にツルゲーネフに触発されながら、筆力の限りを尽くして描き出すことは一種の挑戦だったのではないでしょうか。
とりわけ「耳を傾けて聞く」ことが「今の武蔵野の心に適っている」と言い、音の繊細な描写が続きます。
それによって私たちは、実際には当時の武蔵野を知ることはできないにも関わらず、まるで手にとるように感じことができるのです。
武蔵野の3つのポイント
「武蔵野」を読むうえで、知っておくとより楽しい知識をご紹介します。
ポイント①【「となりのトトロ」に描かれた風景】
現在武蔵野の風景が感じられる場所は多くはありません。
しかし、さまざまな場所や公園などに一部が残されています。
宮崎駿監督のアニメーション映画『となりのトトロ』に描かれた風景は武蔵野のものです。
現在埼玉県所沢市で「トトロの森」として保存活動が行われています。
ポイント②【当時の東京をうかがい知ることができる】
「武蔵野」を読むと当時の東京のようすを想像することができます。
国木田独歩が「町外れ」と呼んでいる東京市の尽きる処、武蔵野との境界線の地名からイメージすることができます。
渋谷の道玄坂(どうげんざか)、目黒の行人坂(ぎょうにんざか)、早稲田の鬼子母神(ししもじん・きしぼじん)、新宿、白金。
これらはいずれも現在は23区内の繁華街であったり、市街地であったりする場所です。
ポイント③【武蔵野ではぐくんだ恋】
国木田独歩は1894年、医師の娘である17歳の佐々城信子と知り合い恋に落ちます。
信子の母は強く反対しましたが、気の強い信子は母の目を盗んで独歩に会いに行き、2人で武蔵野を散策したりしたといいます。
翌1895年2人は駆け落ち同然に結婚しますが、その翌年には早くも貧しさに耐えかねた信子は失踪し、破綻してしまいます。
佐々城信子は作家・有島武郎の小説「或る女」のモデルとなりました。
武蔵野を読んだ読書感想
「武蔵野」は単に自然の美しさを描写したものではありません。
「生活と自然」「一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈しおる場処」としてこの地をとらえているところにこの作品の深い趣きがあります。
「大都会の生活の名残と田舎の生活の余波がここで落ちあって、緩やかにうずを巻いている」。
確かに落葉林の自然という限りでは他の地域にいくらでも見出すことはできるでしょう。
しかし、東京という大都会に接するそれであるからこそ、人々の息遣いをも感じさせる特別な場所となっているのではないでしょうか。
武蔵野のあらすじ・考察まとめ
国木田独歩の描き出した武蔵野は、よく言われるように日本人の原風景といってもよいでしょう。
また逆にいえば、そのように現在私たちが感じることができるのはこの作品のおかげであるとも言えます。
読むだけでも風景に対する繊細な感受性が育まれるこの作品、ぜひお手にとってみてはいかがでしょうか。